小野みゆき、約15年ぶりの映画出演は完全ノーメークも「まったく抵抗なし」

ノーメークも「まったく抵抗なし」と明かした小野みゆき【写真:舛元清香】
ノーメークも「まったく抵抗なし」と明かした小野みゆき【写真:舛元清香】

自己管理は徹底「ちゃんと意識がある人だけが残っていった」

――独特な画作りでしたね。

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「やっぱりそう思いましたか。幻想的、不思議なリアルさがあるんですよね。でも、きれいきれいな感じでもないでしょ。我々(出演者)はメークもしなかったんですよ。ノーメーク風のメークではなくて、本当にしなかったんですよ。ゼロだったのです。それも、監督がカメラテストをして、『ノーメークで行きたい』とおっしゃったので」

――女優さんがノーメークで出演するのは勇気がいるのでは?

「全然、抵抗はなかったです。私、こういう顔でしょ。わかりやすく言うと、子どもの時のあだ名がドラキュラとか魔物系だったんです。東洋人のツルンとお雛様みたいな顔の子どもがいる中、1人、魔物系がいる感じだったんです。お化粧してなくても、お化粧している感じで、お化粧をすると、していないように見えるんです。それに、監督から言われたものをやるだけ、と思っていましたから」

――制作サイドとしてはありがたい人でしょうね。

「18歳のデビュー当初、当時のマネジャーから、そういう風に教えられてきたんです。裸だろうが、なんだろうが、言われたものをやるだけ。後は事務所の判断です。事務所が『問題ないですよ』って言ったらやります。グラビアの撮影現場では、『裸に見えるような写真を撮ります』といい、マネジャーが『“見える”ではなく、そんなの脱ぐのが当然でしょう』と言われれば、そういうものなんだ、と思っていました。契約書がなくても、現場と事務所がツーカーで話し合っていた時代ですからね」

――デビューは79年。資生堂のキャンペーンガールでしたね。

「デビューはその年なんですけども、撮影自体はその1年前にやっていました。1年がかりで撮っているんですよ。高校を出てすぐだったんですけど、もう何もわからない娘でした。事務所からは『夜ふかしはするな』『夜、水分を取るな』『蚊に刺されてはいけない』『あなたは頭のてっぺんから爪の先まで売り物ですよ。要は商品ですよ』と言われてきたわけです」

――ご自身でも自己管理を徹底されたわけですよね。

「うちの事務所は大きい事務所で、今でも、人数が多いんですけど、当時も800人ぐらいが所属していて、みなさんからよく『人数が多いね』と言われてたんですよ。そんな中、『きちんと自分を管理できなくて、どう仕事をするの』って、すごく言われていたものです。『ビーチに遊びにいっちゃった』『日に焼けちゃった』と言ったら、『何、肌を焼いているの?』と怒られてしまいます。きっとそういうモデルは淘汰され、ちゃんと意識がある人だけが残っていったんだと思いますね」

(後編に続く)

□小野みゆき(おの・みゆき)1959年11月17日生まれ。静岡県出身。1979年、資生堂サマーキャンペーン「ナツコの夏」でデビュー。主な出演作に「トラック野郎 熱風5000キロ」(鈴木則文監督)、「戦国自衛隊」(斉藤耕正監督)、「あぶない刑事」(長谷部安春監督)、「ブラック・レイン」(リドリー・スコット監督)、「ハサミ男」(池田敏春監督)などがある。

ヘアメイク:林美穂

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