40周年の早見優、アイドルデビューで体験した日本の不思議な習慣「本当に大変でした」

デビューからの教えを守って運動でスタイルを維持【写真:荒川祐史】
デビューからの教えを守って運動でスタイルを維持【写真:荒川祐史】

ホームシックも経験

 デビューからずっとマネジャーとして私を育てていただき、独立してからも今の事務所の社長としてお世話になった市瀬達弥さん。昨年亡くなってしまいましたが面白い人柄の反面、とっても厳しい人でした。デビューから今まで私を直接ほめていただいたことがなかったんです。最初はほめられないから、「私はちゃんとできているのかな?」って不安でした。あるとき、お蕎麦屋さんで一緒にご飯を食べていたら、私じゃなくて同席した人に「優は最近歌がすごくいいんだよ。密かに勉強してると思うよ」って話をしていたんです。“なんで横にいる私に直接言ってくれないのかしら?”って(笑)。ようやくほめられたんですが、日本の人は第3者を通してほめるんだって理解したのを覚えています。

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 ほかにも今の時代だったらきっと「○○ハラスメント」とか言われちゃいますけど、アイドルとしてスタイルには常に気を使うようにいつも厳しく言われていました。ちょっと気を緩めると「少し大きくなってきましたか?」ってすぐに見つかってしまうので、食べ物の制限はしたくなかったから、しっかり運動してスタイルを維持していました。その教えは今でも守っていて、大変ですけど一生懸命努力していますよ(笑)。

 ホームシックにもなりました。私がデビューした頃は母も祖母もハワイにいて、忙しくて学校にもなかなか行けなかったので同級生と話す時間もほとんどなかったんです。いつも心の中で仕事をしなくちゃっていう責任感やプレッシャーがあったのかもしれません。

 当時はインターネットや携帯電話もない時代でしたから、お手紙をいつも書いていました。ハワイに届くのは1週間後で向こうから返信が届くのはさらにその1週間後。今では考えられませんが、あの頃の1週間はとても長かったですね。ハワイからお手紙が届いたときはいつもうれしかったです。

「こんな機会は、めったにないんだから思いっきり頑張りなさい!」って、私はおばあちゃん子だったので祖母からの手紙にいつも励まされていました。ある日、私の大好きなハワイのアラモアナビーチの砂を小袋に入れて送ってくれたんです。届いたときは本当にうれしくて。いつも寂しくなったらその砂の入った子袋を振って向こうのビーチを思い出していました。

 今回、デビュー記念日のタイミングで84年と85年のライブ映像がDVDとCDで発売されるんです。ライブ映像の中には私が読書しながら、次のコンサート会場まで電車で移動している様子がオフショットで映っているのですが、そのときに読んでいた本は、私が英語を忘れないようにと祖母が心配して送ってくれた英語の小説なんです。手紙をもらうたびに「勉強しなさい」って書いてあって……意外と厳しかったんです(笑)。

□早見優(はやみ・ゆう)3歳から14歳までをグアム、ハワイで育つ。14歳でスカウトされ82年「急いで!初恋」で歌手デビュー。「夏色のナンシー」や「PASSION」などのヒット曲がある。以後バイリンガルと国際感覚を生かしTV、舞台などで活躍。2022年、デビュー40周年のアニバーサリーイヤーを記念してDVD+CD「早見優/ LIVE 1984~1985」をリリース。

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