【プロレスこの一年 ♯30】人気絶頂のタイガーマスク、馬場とハンセンの一騎打ち、長州力の噛ませ犬発言…82年のプロレス

馬場とハンセンのPWFヘビー級選手権(82年4月22日東京体育館)【写真:平工 幸雄】
馬場とハンセンのPWFヘビー級選手権(82年4月22日東京体育館)【写真:平工 幸雄】

馬場とハンセンのPWFヘビー戦は年間ベストバウトを獲得

 8月30日には藤波とタイガーがシリーズを休んでの強行スケジュールでニューヨーク・マジソンスクエアガーデン大会に出場。藤波がジノ・ブリットを破りWWFインターナショナル・ヘビー級王座を奪取するとともに、タイガーはキッドとWWFジュニア防衛戦。試合はタイガーの防衛となった。タイガーとキッドは、これが初めてのMSG登場。アメリカのファンには無名にもかかわらず、試合後には大観衆からスタンディングオベーションが発生した。

 8・27後楽園で復帰した猪木と対したのは、ラッシャー木村&アニマル浜口&寺西勇のはぐれ国際軍団だった。9・21大阪では猪木が木村とのシングルに勝利するもセコンドの浜口が場外で猪木の髪を切る暴挙に出た。しかも木村は試合後に逃走し、「負けたら髪を切る」ルールを無視。場内は暴動寸前の騒ぎとなった。

 これを受けて猪木は、国際軍団との1対3ハンディキャップマッチを決意。国際軍は誰か1人が猪木からフォールを取れば勝利となるが、猪木は3人全員を退けなければ勝てないという変則ルールをのんだ。11・4蔵前で異様な雰囲気の中で行われた試合は、猪木が浜口、寺西を退けるも、最後の木村戦でリングアウト負け。猪木には屈辱の敗戦で、勝った国際軍にも屈辱的な戦いとなった。

 これに先立つ10月8日、新日本では日本人対決に一気に火がついた。メキシコ遠征から帰国の長州力が造反、藤波に牙をむき宣戦布告をやってのけたのだ。長州は猪木、藤波とのトリオでブッチャー&アレン&SDジョーンズ組と対戦。長州は試合そっちのけで藤波を挑発。壮絶な仲間割れは、「俺は藤波の噛ませ犬じゃない」という長州の名言とともにプロレス界の歴史に刻まれることとなる。

 藤波と長州は仲間割れ後、初の一騎打ちを10・22広島で行う。試合は当然大荒れで、収集つかずのノーコンテストとなった。また、この日は、これまたメキシコから帰国の小林邦昭がタイガーを襲撃し牙をむいた。虎ハンターと化した小林は、さっそく10・26大阪でタイガーのWWFジュニア王座に挑戦。マスクを剥いでの反則負けでベルト奪取はならなかったが、藤波VS長州と並ぶ日本人ライバル対決の本格的スタートとなった。

 藤波VS長州、タイガーVS小林の遺恨カードは、猪木VS国際軍団の行われた11・4蔵前でも実現した。藤波はWWFインター、タイガーはWWFジュニアを懸けたが、両試合とも反則決着で王座移動はなし。タイトルよりも感情が先立つ戦いにファンは熱狂した。

 一方、全日本プロレスの82年は、前年末のスタン・ハンセン登場の余韻で幕を開けた。1・15木更津でハンセンが全日本マット初参戦。衝撃のラリアットで阿修羅・原を3分弱で粉砕した。

 猪木VSブッチャーの4日後、2・4東京体育館でジャイアント馬場とハンセンの一騎打ちが馬場のPWFヘビー級王座を懸ける形で実現した。新日本の元トップ外国人を相手にした馬場が復活の大奮闘。試合は両者反則も大興奮の内容で、年間ベストバウトを獲得するほどの名勝負となった。

 復活を印象づけた馬場は4月16日、「第10回チャンピオン・カーニバル」でブルーザー・ブロディを反則勝ちながらも退け7度目の優勝を達成した。この日は公式戦でジャンボ鶴田と天龍源一郎の初シングルも実現。試合は30分フルタイム戦っての引き分けだった。

 4月22日には馬場とハンセンが再戦。この試合も東京体育館で行われ、再び馬場のPWF王座が懸けられた。が、この試合も引き分けで完全決着は持ち越し。両者リングアウトのドローだった。

 新日本がタイガー・ブームの中、全日本では11月4日、大仁田厚がチャボ・ゲレロを破りNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を奪取した。これに先立つ9月には、NWAジュニアへの見解を巡り新日本と全日本が対立。一時はタイガーと大仁田が対戦する機運も生じたが、結局この戦いが行われることはなかった。

 両団体ともタッグの祭典で82年の幕を閉じた。新日本「第3回MSGタッグリーグ」は猪木&ホーガン組が優勝(12・10蔵前)、全日本「世界最強タッグ決定リーグ戦」はドリー・ファンクJr&テリー・ファンクのザ・ファンクスが優勝を勝ち取った(12・13蔵前)。

 その一方で、ブーム真っ只中のタイガーはヘビー級が中心のタッグ祭典期間中にあえてアメリカ&メキシコ遠征に出発。11月22日には2度目のMSG登場で、かつて同所にて藤波と対戦したカルロス・ホセ・エストラーダと一騎打ち。キッドの航空便トラブルによるカード変更ながら、WWFジュニア王座を防衛。27日からはメキシコを転戦し、ビジャノIII、ペロ・アグアヨの挑戦を退けWWFジュニア王者のまま帰国した。82年の最後は12・19後楽園、特別興行でのタッグマッチ(木戸修&タイガー組VS栗栖正伸&星野勘太郎組)。タイガーが栗栖を破り大ブームの82年を締めくくった。この年のプロレス大賞はタイガー。最優秀選手賞とともに技能賞も受賞した。猪木、馬場以外の選手がMVPを獲得するのは史上初の快挙。ブームを証明する受賞だった。(文中敬称略)

次のページへ (3/3) ハンセン&ブロディの「超獣コンビ」
1 2 3
あなたの“気になる”を教えてください