暴走女王・堀田祐美子が明かす“伝説”RIZINギャビ戦の仰天舞台裏 オファーは直前…一度は「ヤメます」一転参戦を決めるまで

最近は『極悪女王』大ヒットの影響もあり、女子プロレスラーの話題が以前より取り上げられることが増えた。そして最近はドーピング問題に揺れたRIZINでも、女子プロレスラーの存在感を示した“伝説の一戦”が存在する。堀田祐美子VSギャビ・ガルシア戦(2016年大みそか、さいたまスーパーアリーナ)である。今回は、RIZINにおいては他の試合とまったく毛色の違いがありながら、未だに語り継がれる一戦の真相を確かめるため、堀田を直撃した。

来年はデビュー40周年を迎える堀田祐美子
来年はデビュー40周年を迎える堀田祐美子

試合まで2週間を切った段階でのオファー

 最近は『極悪女王』大ヒットの影響もあり、女子プロレスラーの話題が以前より取り上げられることが増えた。そして最近はドーピング問題に揺れたRIZINでも、女子プロレスラーの存在感を示した“伝説の一戦”が存在する。堀田祐美子VSギャビ・ガルシア戦(2016年大みそか、さいたまスーパーアリーナ)である。今回は、RIZINにおいては他の試合とまったく毛色の違いがありながら、未だに語り継がれる一戦の真相を確かめるため、堀田を直撃した。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

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 今回、“暴走女王”堀田祐美子を直撃し、ギャビ戦の話を振り返ってもらうと、なかなか衝撃的な話が飛び出した。そもそもなぜプロレスラーである堀田に、ギャビ戦の話がいきなり持ち上がったのか。

「いつだったかな、試合(大みそか)まで2週間は切っていたんじゃないかな。たぶん12日前とか。きっかけは神取忍さんから連絡をいただいたんですよ。『話があるんだよ』って。そしたら、『練習中にアバラを骨折してRIZINに出れなくなっちゃったから、いま自分の代わりの選手を探していて。(堀田は)できない?』って言われて。え! ってなって、いつですか?って聞いたら、もう試合まで2週間を切っていたから、そんなすぐですか! みたいになって」

 参考までに、ギャビの戦歴を記載すると、世界柔術選手権で9回優勝、アブダビコンバットで3回優勝を果たし、2015年の大みそかにRIZIN初参戦を果たしてから、3戦を闘い、いずれもTKOもしくは一本勝ちを収めていた。

 堀田としては、神取のためにも受けたいとは思ったが、いかんせん堀田が最後の格闘技戦を闘っていたのは4年以上前のこと。そんな堀田が代役を務めることを周囲が納得するのか。その点が気になった。

 そこで(横田一則)トレーナーの判断を仰ごうと練習を見てもらうと、ひと通りはこなすことができたものの、トレーナーは「結局は本人です(本人が決めるしかない)。僕が決めることでもないし、堀田さんができるかどうか」との見解を示したが、神取に確認すると「できるよ」と同じプロレスラーとして堀田を信じている雰囲気が伝わってきた。

 結局、堀田は答えた。「じゃ、わかりました。やります」。

 ところが、その後すぐにトレーナーから堀田はこう告げられる。

堀田は、14日にはライバルである伊藤薫主催の35周年記念大会に参戦する
堀田は、14日にはライバルである伊藤薫主催の35周年記念大会に参戦する

「分かりました。ヤメます」(堀田)

「僕、考えました。ヤメましょう。今の状態で時間もないし、堀田さんがリスクを背負うことはないじゃないですか。ギャビはヤバいですよ。日本人の男でも勝てないくらい強いんです。その人とやったら、パンチを受けたらおそらく眼底骨折は間違いない。たぶん、鼻も折れる。それを分かっていて、堀田さんをリングに上げることは、僕は賛成ではないです」(横田トレーナー)

 堀田としては、自分の判断では決められず、トレーナーに決めてほしいと思った。その結果が「ヤメましょう」であれば、それに従うのが懸命だ。

「私は『分かりました、ヤメます』って、すぐに神取さんに連絡したんですね。そしたら神取さんも『分かった』ってなったんですよ」(堀田)

 だが、その直後にまた神取から連絡が入った。主催者であるRIZINの榊原信行CEOが「事務所に来てほしい」と言っているというのだ。

「翌日だったのかな。RIZINの事務所に行ったんですよ。そしたら榊原さんが私に言うんです」 

 堀田に対し、榊原CEOは言った。

「もし堀田さんが大みそかにリングで闘うとしたら、今の何を削ればリングに上がれますか?」

 堀田は「10歳若ければ。練習が半年できれば。それとヒザが痛くなかったら……。これが解消されたら、大みそかの大舞台に立てるなんてすごく光栄なことだと思うんです」と答えたが、榊原CEOの口からまさかの答えが返ってきた。

「分かりました。その三つ、あったと思って、(大みそかに試合を)やりましょう」

 もちろん、「それはどうなんだろう……」と堀田は思ったが、榊原CEOは「大丈夫。堀田さんならできます。やりましょう! お願いします!」と譲らない。

 最終的に堀田は、「そうやって周りの人が言っているのであれば、私の責任は軽くなるので、いいかな」と考え方を変えることができたという。

 榊原CEOから「自分の見せるところだけ見せてもらえばいいです」との言葉もあり、堀田は「すごく気が楽になったんですよ。私としては、私が代役になって迷惑をかけたくなかったけど、それでも私を後押ししてくれるなら、って出るって決まって。翌日からは私の予定に全部合わせてくれて。武蔵小山にある高田道場でトレーナーさんが教えてくれて。そのトレーナーさんと出会えたことも本当にありがたくて。ホントに私のことを思って頑張ってくれたので、そこからは毎日毎日が心臓が痛くなると思うくらい、厳しい練習もしたんです」と証言した。

今でもトレーナーや関係者への感謝の気持ちを忘れない

 いざ、試合に向けて練習はスタートしたが、とにかく時間がない。

「それとギャビの情報があんまりなかったんです。ただ、前の試合では彼女が猫パンチだったから、そこまでパンチはキツくない。でも、もしテイクダウンされた時は危ないから、中(ギャビの懐)に入れ、中に入って、アッパー、蹴り、ボディへのパンチ。あとはコンビネーションが二個くらい。それだけずっとやってましたね。あとは体力作りとか」(堀田)

 ギャビ戦からもうすぐ8年が経とうとしているが、堀田は今でもあの時にチームを組み、時間を惜しんで付き合ってくれたトレーナーや関係者に感謝の気持ちを忘れていない。

 時間が迫っているなかで、その後もリング上のギャビを想定しながらの練習を続けたが、最終的には「できることをやろうとなって、まずはゴングが鳴った時に、ロープワークしましょうってことになったんです」と“伝説のロープワーク”構想がこの段階でできあがったと語った。

 そして迎えた試合当日、リングに上がった堀田は、予定通りにゴングが鳴ると四方に張られているロープに飛んだ。だが、ここで堀田にとっては計算外の出来事が起こった。

「私がロープワークをしようとしたら、私が思っているよりもRIZINのリングはデカいし、ロープも綱みたいになってて、ロープワークができるロープじゃなかったんですよ。だから『ウソ!』と思ったんですね」

 それでも何度かロープに飛び続ける堀田に対し、ギャビは「こいつ何をやってるんだ?」と動揺した。

「私としてはそれだけでもよかったんじゃないかなって。それによって会場も湧いたし、それがやれたから、結果的には足跡みたいなことは残せたかなと思うんですよ」

 もちろん、堀田にも反省点はある。

「私のクセみたいなのが出ちゃったんだよね。ロープ際でやられた時に、それを、いつもの感覚で受けちゃったんです。だから、あ、受けちゃった! と思った瞬間に、倒されて、上からマウントされて、すぐにレフェリーストップになったんですよ」

 たしかにマウントはされたが、ギャビに殴られたわけではない。堀田は「なぜ止めるの!」と思った。

最近、ギャビが自身のドーピングを告白

「だから控室に行って和田レフェリーに『なんで止めたんですか! まだできるのに! なんで!』って興奮して言っちゃったんです。そこでプロレスラーとしての自分が出ちゃったというか。ワーって泣きながら抗議したんですよ。そしたら、和田さんがね、『堀田さん、よく聞いてください。あなたが今、無傷なのはラッキーなんですよ。僕があそこで止めなかったら、殴られた時には眼や鼻は折れてますからね。それくらいギャビってすごいんですよ』って」

 和田レフェリーの言葉を聞いて、堀田は我に返った。

「私、その時にすごい素に戻って。そうか。怪我してない。今日、大晦日だよね。病院も、やってないじゃん。もし怪我したらどうするんだろ……なんて思ったら、泣きながら『すみません。ホントにありがとうございました』みたいな感じになったんですよ」

 あれから早8年の月日が経とうとしているが、実は最近、ギャビが自身のドーピングを告白した。

「それを聞いた時は、やっぱり! でしょ! だってさあ、あんなカラダだし、こんな太い腕をしてるし、声も人間離れしてたじゃないですか。だから嘘でしょ、みたいには思ってたし、絶対にやってるっていうか、うまくすり抜けてるなって思ってましたよ。ちゃんと検査したの? みたいにはね。だけど私は神取さんの代役だし、神取さんの代わりをリングで果たすことができればと思ってただけでしたからね」

 堀田は来年、デビュー40周年を迎える。ギャビ戦の頃から抱えていたヒザの痛みが悪化し、昨年は両ヒザの手術を経て、今は両足に人工関節が埋め込まれている。まさに満身創痍ながら、それでも引退の道を選ぶことなく、リングに上がり続ける道を選択した。

「レスラーになる前はホント気が弱くて、何も意見が言えない自分が、なんとか心が強くなりたいと思いながら、結果的には好きなことができて、同時に心も強くなった。それがなかったらあの日のリングにも立てなかったと思うんです。それと、私には仲間がいるからこそ、強くなくちゃいけないと思ったし、結果を出してやるみたいな気持ちがあった。だから仲間がいたからこそ、上がれた(ギャビ戦の)リングだと思ってますね」

 そこまで話した堀田は、最後にこう言葉をつないだ。

「私はここまでリングに上がれて幸せだなと思います」

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