【オヤジの仕事】さかもと未明さん「娘には父が必要」 “昭和の父”よりイクメンの父

近年は画家、歌手として活動している【写真:山口比佐夫】
近年は画家、歌手として活動している【写真:山口比佐夫】

時代とともに歯車が狂っていった親子関係

 父が働き盛りの頃は日本の経済がどんどん成長した時期。良い家に住み、良いモノが買え、日本の家庭は豊かになっていきました。引き替えに、お父さんたちは子どもと関わる時間がなくなってしまった。私の父のような働き方をしていた猛烈サラリーマンを礼賛する声もありますけど、いつも家にいない父、言葉を交わさない父では子どもは父親を尊敬しようがない。うちのように、父親が猛烈に働きすぎたせいで、おかしくなった家庭はたくさんあったんじゃないかと思います。

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 私が思春期に不登校や拒食症を起こしたときも病院になど行くなというだけでした。戦争を知る世代にとって「食べモノがあるのにたべられない」なんて、理解できなかったんだと思います。大学卒業の時に「漫画家になりたいから就職しない」と言ったら烈火のごとく怒られて、両親との関係は修復が難しいほどこじれました。結局、就職して家を出て、今にいたるまで私はほとんど実家に帰っていません。

父親の存在は昔も今も大きい
父親の存在は昔も今も大きい

心の奥では父を求めていた、と振り返るさかもとさん

 でも、振り返れば、幼い頃は良い思い出があったのも確か。家計が厳しくてもご飯をちゃんと食べさせてくれて、大学まで出させてくれたのも確かです。感謝しています。私は父とうまくいかなかったけど、めちゃファザコンだなあと思います。父のような年上の男性との関わりを、ものすごく強く求めるところがあって。それは、父と過ごせなかった時間を埋め合わすためだと思います。

 娘にとって父親は必要なもの。社会に出て弱ったときには、帰っていける港であってほしい。でも、私は甘えることができなかった。実質的に家にいないんですから、甘えたり相談したりできないですよね。でも、父は父で、「こんなに頑張っているのに家族から理解されない」と苦しんでいたと思います。多くの”昭和の父“は孤独だったのではないでしょうか。

 今どきのイクメンを「軟弱だ」という人もいるでしょうが、私はそうは思わない。やっぱり、お父さんには家族と密に関わってもらいもらいたい。一生借家住まいでもいいじゃないですか。江戸時代なんてみんなそうだったでしょう? 無理に借金をしてきれいな持ち家を建てても、その中にあたたかい思い出が詰まっていなければ意味がない。子どもにとっては父にそばにいて、甘えたり、叱られたりすることこそが大事。これからの日本では、家族の思い出、お父さんとの思い出を、たくさんの子供や奥さんたちに持ってもらいたいですね。

□さかもと未明(さかもと・みめい)1965年10 月21日、横浜生まれ。玉川大学文学部英文学科卒業後、OLを経て1989年漫画家デビュー。“レディースコミックの女王”としてブレイクしルポやエッセイ、時事漫画、テレビコメンテーターなど活躍の場を広げたが、2006年に難病である膠原病を発症。重症化で2011~2016年はほとんどの仕事を休止した。2012年に医師と再婚。2017年に画家として再起。近年は画家、シャンソンやスムース・ジャズを歌う歌手としても活躍。12月7日、紀伊國屋書店新宿本店でトークセッションを行う。

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