有村昆、収入ゼロからホテル社長に「芸能2割ホテル8割」 原動力は4年前の不祥事“無職”「あの時は本当に怖かった」
タレント・有村昆(50)は今、“映画コメンテーター”とは別の顔、実業家として強固な基盤を築き上げている。都心の山手線沿線や大阪エリアなどを中心に、“顔出し”せずに民泊・ホテル「LEON RESORT」グループを展開。直営・フランチャイズやビル一棟貸しを含め、その規模は実に50店舗、年商は数億円に及ぶという。4年前の“収入ゼロ”からはい上がってきた男の泥臭い現場仕事と現在を追った。

安定した芸能生活もスキャンダルで激変
タレント・有村昆(50)は今、“映画コメンテーター”とは別の顔、実業家として強固な基盤を築き上げている。都心の山手線沿線や大阪エリアなどを中心に、“顔出し”せずに民泊・ホテル「LEON RESORT」グループを展開。直営・フランチャイズやビル一棟貸しを含め、その規模は実に50店舗、年商は数億円に及ぶという。4年前の“収入ゼロ”からはい上がってきた男の泥臭い現場仕事と現在を追った。(取材・文=島田将斗)
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待ち合わせ場所は、有村が今年2月にオープンした東京・江東区の「LEON RESORT 住吉」。到着を待っている間にも、外国人観光客の4人家族が建物内へと吸い込まれていった。しばらくして姿を現した有村は、あいさつもそこそこに、建物1階に併設されたアサイーボウル店の看板の位置について、店舗スタッフへ細かく指示を出し始めた。
その後、実際の室内に案内してもらうと、ここでも有村はせわしなく動く。部屋に設置されているプロジェクターの電源が入らないことに気づいたためだ。急いで別のスタッフとビデオ通話をつなぎながら、椅子に乗って天井へと手を伸ばし、顔をしかめながらも機器を調整する。作業が終わると他のスタッフの参考になるよう、プロジェクターのボタンを写真撮影し、すぐさまチャットで共有していた。
他にもスタンドライトのコードが抜かれていることや、ベッドの掛布団の敷き方の甘さを目ざとく発見しては、清掃スタッフを呼んで丁寧に指導を行う。テレビの画面で長年見てきた“映画コメンテーター”の面影は、そこには全くなかった。
「今やっている仕事の実務的な作業量でいうと、ホテルが『8』で芸能が『2』くらいですね。ホテル経営は裏方の実務がとにかく多くてめちゃくちゃ忙しいんです。ホテルの仕事で得た経験も芸能の仕事にも生きていて、今いただいた芸能の現場も楽しくてありがたいです。毎日バタバタしてますよ」
長年、映画コメンテーターとして途切れずに仕事をしてきた有村が、なぜこれほどまでにホテルビジネスの現場を泥臭く駆け回っているのか。その根底には、4年前に味わった人生の“どん底”と強烈な執念があった。
「きっかけはもう単純で……。今から4年前に、ちょっとFRIDAYに載ってしまった。あれが大きかったっすね。それまでずっと映画コメンテーターとしてやってきて、ありがたいことにレギュラー番組がなくなったことがない人間だったんです。何かが終わってもすぐに別のお仕事が入ってくる、安定した芸能生活を送っていました。でも当時は先行き不透明なコロナ禍で、東京五輪の前ぐらいのギリギリな時期。ああいう報道が出たことで、当時5本あったレギュラー番組は当然全て降板。収入はいきなり『0円』になりました」
スキャンダル報道後に3か月、活動を自粛した。フジテレビ系情報番組『バイキング』で復帰を果たしたものの、「仕事ってそんなにすぐには戻らない」という現実を突きつけられた。外にはなかなか出られない。家に毎日いてもやることがなく、気が滅入ってしまう。そんな有村が向かったのは、お笑いコンビ・カラテカの入江慎也が手掛ける清掃会社のアルバイトだった。
「毎朝本当に午前6時に起きて、7時ぐらいに渋谷のスクランブル交差点で入江さんと待ち合わせして、いろんな現場のエアコン清掃に行っていました。それを3か月ぐらい続けましたかね。入江さんのところを辞める時に色々お話ししたんですけど、あの人も色々あって、副業として始めた清掃が今は本業になっちゃった人。『タレントさんもいつまでも一つのわらじじゃなくて、もう一つの副業をやったほうがいいですよ』とアドバイスをもらったんです」

民泊1軒目は「全て手作業」からスタート
さらには、宮崎謙介氏、乙武洋匡氏、原田龍二氏といった“いつものメンバー”や、有村を気に掛ける多くの企業社長たちからも「ビジネスはやったほうがいい」と言葉をかけられた。最初は社長たちについて回りながら企業の顧問やコンサルティングを務め、ビジネスのノウハウを実地訓練のように肌で学んでいったという。だが、勉強の時点で鋭い危機感に直面する。
「いつまでもコンサルだけっていうわけにはいかないんです。コンサルって芸能活動と一緒で、自分が動きを止めた瞬間、収入が0円になっちゃう。走って稼がないと今月分の給料がない状態だと、『これいつまでやるのかな』って。そう気づかされたのが、『金持ち父さん 貧乏父さん』という有名な本でした」
本の中に登場する、回し車の中を走り続けるネズミの例え(ラットレース)が、自身の境遇と重なった。
「餌が欲しいからって輪の中で走り続けているうちはいいけど、人間は歳もとるし、ケガや病気にもなる。何があるか分からないじゃないですか。大学を卒業してすぐ芸能界に入って順風満帆だったけど、ドーンと何かが来たら動きが止まって0円になる。だから『自分じゃなくて物件に稼いでもらう』、不労所得を交えた仕組みを作ろうと腹をくくり、不動産や民泊ビジネスと出会いました」
とはいえ、最初から豊富な資金があったわけではない。最初に手掛けた民泊の1軒目は、新築などではなく渋谷区の古いボロマンションの一室を大家から借りたものだった。アマゾンなどを使って家具や壁紙、ベッドなどを購入し、ひたすら借りた部屋で荷物を待つ。荷物が届いてからが作業のスタート。壁紙も全て手作業で貼り付けた。深夜に隣の住人から「壁を叩かれて『うるせえ!』って怒られながら……」と部屋作りを振り返った。
スキャンダルまでは芸能界一本。全く右も左も分からない世界だった。それでも急成長を遂げた背景には、芸能人特有の「タガが外れたバイタリティー」があったと自己分析する。
「僕に限らずタレントをやっている人って全員そうなんですけど、どこかタガが外れているっていうか、『家へ帰って寝よう』っていう感覚がそもそもない人が多い。バカになれるんですよ。僕も寝ないでずっと映画を見てレビューを書けちゃう人だったから、そこに対して一点突破で泥臭く行ける。サッカー選手がいつの間にか町で一番、県で一番、全国で一番になっちゃうみたいに、トライ&エラーを繰り返して勉強していきましたね」
個人事業主からスタートし、昨年の夏頃までは「経理の請求書や外国人のレイトチェックアウトの英語返信、電話対応からプライシング(AIを使った価格設定)まで、マジで全部1人でやっていて、何も寝た記憶がないほど疲れ果てていた」と笑う。それでも、業務が拡大するにつれて業務委託スタッフだけでなく正社員も雇用し、現在はフランチャイズ体制を作り上げるまでになった。
「タレント1人でやっている時って、自分だけだからドリブルの技術ばっかり磨いている感じなんです。でも、組織になるとドリブルよりパス回し。俺は自分でやりたい人だからついつい今でも出ちゃうけど、それやり続けると僕がつぶれるし、会社は成長しない。人に任せて、持ち場を持たせて人を育てるっていうのが、タレントとは全然違う『経営者』としての重要な学びでしたね」

今年50歳に「引退とか全然考えられない」
現在の有村は「最強の営業社長」と掲げ、フランチャイズ希望のオーナー面談や講演会、部屋の設計・デザインを担当している。当然、お金の価値観もタレント業とは変わってくる。
「全然違いますね。タレントをやっている時って自分のお金っていう感覚がないから、『ジャブジャブ使っちゃおう』みたいな感覚がある。でも事業は、自分の心血を注いで泥臭く大きくしていったお金のストックだから、めちゃくちゃ大切に使います(笑)。失敗したら大変だし、詐欺に遭うかもしれないし、ドロンされちゃうかもしれない。社長ってやっぱ孤独だから常に気を使いますし、胃が痛くなることもあります」
それでも、今の生活のほうが「やりがいと使命感が圧倒的に強い」と言い切る。年齢を重ねたはずだが、声の張りも表情の明るさも4年前とは全く違い輝いていた。
「今から4年前、僕は46歳で無職でしたからね。あの時は本当に怖かったです。タレントの時は自分1人の忙しさでしたけど、今は責任がもっとある。オーナーさんもいるし、うちの社員や若いスタッフたちを食わせていかなきゃいけないっていう使命感が強いんです」
収入ゼロのどん底から、強靭なメンタルで這い上がった。その熱量の根源を尋ねると、有村の語気がより一層熱を帯びた。
「もちろん自分が悪いのですが、あの時に自粛した時の悔しさが、すごく今も僕の中にあるんです。芸能をやりたくてもお声がかからない。一度ああいう問題があると、テレビ局もなかなか出してくれない。だから先日、日本テレビの番組に呼ばれた時は本当にうれしくて。それも、映画コメンテーターとしてじゃなく、『インバウンド特化型の民泊を50軒やっている有村さん』としての紹介でした。番組内で映画の話なんか一切していない。もはやホテルのことしかしゃべっていない(笑)。テレビに出ることは少なくなったけれど、新しく始めたビジネスで日テレに呼ばれたっていうのが、あの時の自分に対してのリベンジができたような気がして」
今年、50歳を迎えた。世間一般では“折り返し地点”や“老後の準備”がよぎる年代だが、歩みは止まらない。
「普通50代って言ったらそろそろ引退とか、どっか田舎に移住しよっかなくらいじゃないですか。でも僕にはもう、そんなの全然考えられないです(笑)。今から10年はとりあえず体力の続く限り忙しくガーッと走って、まずは100店舗を目指したい。やるかやらぬかではなく、『やるしかない、決めたらやり抜く』っていうこのパッションは、これからも消すわけにいかないんでね」
□有村昆(ありむら・こん)1976年7月2日、マレーシア生まれ・東京育ち。年間約500本の映画を鑑賞する映画コメンテーターとして活躍するほか、番組MCや司会経験も豊富。コロナ禍を機に実業家としての活動を本格化させ、始めた民泊事業は2年半で50店舗まで拡大。2025年からはフランチャイズ展開もスタートし、東京(スカイツリー近郊・品川)や大阪・難波でのビル一棟ホテル、河口湖のリゾートヴィラなど新規開業を続々と予定。近年中に「100店舗達成」を目指し、事業をけん引している。
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