【プロレスこの一年 #2】“レスラー”ザ・ロック熱狂の初来日と格闘技の波 プロレス界の2002年をプレイバック

ザ・ロック (C)2020 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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日本でのロックの対戦相手はクリス・ジェリコ

 ロックの対戦相手は、日本通のクリス・ジェリコだった。今振り返れば意外な気もするが、ロックはこの試合に敗れている。それでも場の空気をかっさらったのはロック様だった。その後、ロックはレスラーとしての来日を果たしていない。貴重な来日では初の主演映画「スコーピオン・キング」のPR活動も含まれていた。同作をきっかけに、ロック様は映画界に移籍し、いまや稼げる俳優世界一に上り詰めた。WWFが団体名をWWEに改称したのが日本公演後の02年5月。そういった意味でも、3・1横アリの目撃者は“リアル・ロック様”のみならず、WWEの歴史をリアルタイムで体感した者と言えるのではなかろうか。

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 なお、3・1横アリには日本人スーパースターも凱旋。いまでこそ中邑真輔やASUKAの活躍により日本人の参加も当たり前のようになっているが、当時はまだまだ少ないメジャーリーガーに現在とはまた違う特別感があった。3・1横アリではTAJIRIがクルーザー級王座を防衛、ショー・フナキとTAKAみちのくがWWFでのKAIENTAIを披露した(TAKAはこの年の4月、KAIENTAI DOJOを日本で旗揚げ)。

 WWF(現WWE)という黒船が事実上の日本侵攻を始めた年、日本マット界も大きく揺れた。新日本、全日本の老舗メジャー団体が再編の嵐を迎えていたのである。まずは1月18日、武藤敬司が新日本からの退団を表明。小島聡も同月24日に新日本を離れ、2月9日、全日本の後楽園ホールに武藤、小島、ケンドー・カシンが姿を見せた。2月26日には元WWFのカズ・ハヤシも入れて4人で全日本に入団。武藤は9月30日、全日本の社長に就任し、“武藤ゼンニッポン”がスタートすることとなる。さらに4月26日、長州力が5月末での退団を発表。佐々木健介も10月6日に新日本からの退団をアナウンスした。11月12日には新団体WJの旗揚げが明らかとなり、長州と健介が合流する。

 遡れば同年2月、新日本の札幌にて蝶野正洋がアントニオ猪木に対し、「このリングで俺はプロレスがやりたいんですよ!」と直訴。鈴木健想の「明るい未来が見えません」というコメントが飛び出したのも、この場所だった。このやりとりは、猪木の推進する格闘技寄り路線への反発だったことは言うまでもない。プロレス界はK-1やPRIDEなどの格闘技に話題をさらわれていた。前年の大晦日には猪木がプロデュースする格闘技イベント「INOKI BOM―BA―YE2001」にて永田裕志がミルコ・クロコップに敗れる一方、安田忠夫はジェロム・レ・バンナから逆転勝利し一躍時の人となった。その流れで突入した02年、高山善廣VSドン・フライのド迫力バウトが展開されたのはPRIDEで(6月23日)、高田延彦が引退したのもPRIDEのリングだった(11月24日)。一般にも響くであろうプロレスラーの話題がプロレスではなく格闘技イベントにもっていかれる。この現象に純プロレスラーの苛立ちは沸点に達しようとしていた。

 この年、かつて闘魂三銃士と呼ばれた者たちの道が完全に分かれたのも多様化への象徴的出来事だった。蝶野は新日本の現場を任され、武藤は全日本の王道マットを選んだ。01年にZERO1を旗揚げした橋本真也は当時無名の外国人レスラーを多く招聘するなど独自路線を開拓、小川直也との恩讐を越えてOH砲を結成した。また、この年には外国人レスラーにもひとつの特徴がある。格闘技とプロレスを往来したのがボブ・サップなら、ジョアニー・ローラーは男女の枠を越えた。UFOでのエキシビションマッチから新日本に参戦した元チャイナのローラーはIWGPタッグ王座に女子レスラーとして初めて挑戦。全日本では初登場のビル・ゴールドバーグが小島、太陽ケアと一騎打ちを行った。これらもまた、3月にやってきたWWF旋風の影響と言えるのではないか。なお、現WWEの中邑真輔がデビューしたのもこの年(02年8月29日)だった。中邑は大晦日、デビューわずか2戦目(VSダニエル・グレイシー)で格闘技イベント「INOKI BOM―BA―YE」に出場したのである。

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