【プロレスこの一年 #2】“レスラー”ザ・ロック熱狂の初来日と格闘技の波 プロレス界の2002年をプレイバック

本来なら7月初め、世界最大のプロレス団体WWEが大挙して来日、恒例の日本公演を3日間にわたり大阪と横浜で開催するはずだった。が、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中止。本国アメリカでもテレビ収録マッチは無観客で、ハウスショーも行えない状態が3月から続いている。よって、日本を含むすべての海外公演も中止せざるを得なかったのだ。

ザ・ロック (C)2020 WWE, Inc. All Rights Reserved.
ザ・ロック (C)2020 WWE, Inc. All Rights Reserved.

2002年3月1日横浜アリーナに吹き荒れた「ザ・ロック」狂想曲

 本来なら7月初め、世界最大のプロレス団体WWEが大挙して来日、恒例の日本公演を3日間にわたり大阪と横浜で開催するはずだった。が、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中止。本国アメリカでもテレビ収録マッチは無観客で、ハウスショーも行えない状態が3月から続いている。よって、日本を含むすべての海外公演も中止せざるを得なかったのだ。

 今年の場合、横浜アリーナに戻ってくることが大きなポイントにもなっていた。WWEの横アリといえば、いまや伝説と化しているザ・ロックが初来日した2002年3月1日が思い出される。振り返ってみれば、現在の「WWE in JAPAN」はあの3・1から始まったと言っても過言ではない(1994年の「マニアツアー」はまさかの失敗に終わっている)。7・3&7・4の横アリが予定通り開催されていれば、現体制での同所での公演は11年11・30&12・1以来5回目、2日間での開催は3度目となるはずだった。

 当時、CSチャンネルでの放送からWWF待望論がファンの間で高まっていた。中心人物は“ストーンコールド”スティーブ・オースチンとザ・ロック。日本人レスラーには醸し出せない絶対的カリスマ性を身にまとい、スポーツエンターテインメントの先端を走っていたのがこの2人だ。WWFは前年にライバル団体WCWを買収、倒産したECWの権利も手に入れていた。リング上では前年末にWWFとWCWの2大ヘビー級王座が統一された(事実上の吸収)。画面内でのドラマチックな進行とともに、組織としても日に日に巨大化するWWFへの幻想が、日本のファンに高まっていったのである。

 そんななか、WWFがパッケージで日本にやってくる。つまり、テレビだけで観られていたスーパースターたちがまとめてやってくるのである。とはいえ、発表された日本公演は一日限定。1月18日にロックの初来日とともに発表されると、チケット争奪戦が勃発、即完売となった。関係者でさえチケットを入手できない者も続出した。そして迎えた3月1日、ロック狂想曲が横浜アリーナに吹き荒れたのである。

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