『夢見る少女じゃいられない』から31年 相川七瀬、“生涯・歌手”の覚悟「きっとずっと歌う」
歌手の相川七瀬が、デビュー30周年を記念した全国ツアー「30th Anniversary ROCK KINGDOM TOUR 2026」を7月25日からスタートさせ、11月2日には日本武道館でツアーファイナルを開催する。「今が一番楽しい」。充実感をにじませる歌姫に、音楽への熱い思いを聞いた。

30代は「発想が止まった」
歌手の相川七瀬が、デビュー30周年を記念した全国ツアー「30th Anniversary ROCK KINGDOM TOUR 2026」を7月25日からスタートさせ、11月2日には日本武道館でツアーファイナルを開催する。「今が一番楽しい」。充実感をにじませる歌姫に、音楽への熱い思いを聞いた。(取材・文=小田智史)
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1995年11月8日、稀代のメロディメーカー・織田哲郎プロデュースのシングル『夢見る少女じゃいられない』で鮮烈デビューを飾った相川。90年代を代表する女性ロックシンガーとして活躍した彼女も、キャリアは30年を超えた。「ひと言で語れない重みがある」。そう「30」という数字についてしみじみと語る。
「30年はすごく長い時間だったので、あっという間という感じではないです。20年はなんとなくあっという間の感覚もあったんですけど、30年となると本当にいろんなことがあったので、すごく時間が詰まったものだと思います。20周年の時に、今のようにたくさんコンサートをやったり、武道館を目指している10年後を描いていたかと言ったら想像していなかったです」
相川曰く、家族中心に過ごせた30代に後悔はない一方で、10代や20代のような“ガムシャラさ”は影を潜めていたと振り返る。
「大人になって子どもができたり、どんどんステージが変わっていく中で、昔のような“夢を見る力”が衰えていたというか、弱まっていたのはあったと思います。その代わりに、3人の子どもたちを育てて、自分の夢よりも家族との時間を優先したのもまた夢の一つだったと思いますし、そういう30代を送れて本当に良かったです。一方で、10代、20代の時に、向こう見ずにいろんなことを思い描けていた、あの発想力は30代の時は止まったという感覚はありました。でも、長男が大学生になって自分も落ち着いて、自分の立ち位置をもう1回見直せるようになりました。大学受験もしかり、ライブもしかり、そういうチャレンジをやってみてもいいんじゃないかなと少しずつ思うようになってきて、楽しさとともに目標も大きく描けるようになってきました40代は夢の見方を思い出す10年間だった気がします(笑)」

今年のツアーを駆け抜けたら「新たな自信を持つ」
相川は7月から8月にかけて、デビュー30周年を記念した全国ツアー「30th Anniversary ROCK KINGDOM TOUR 2026」を開催。6都市7公演を行ったのち、11月2日にツアーファイナルとして28年ぶりに日本武道館のステージに立つ。
「これをやり切れたら、新たな自信を自分は持つだろうと思います。私たちは言ってしまえば会社員ではないから、ずっと仕事があると保証されているわけではないじゃないですか(笑)。仕事をたくさんいただける時もあれば、全くない時もあったし、浮き沈みの中で30年間やらせてもらって、やっぱり必要とされる・声をかけてもらえることは当たり前ではないんだなと以前よりも深く理解できているので、常々ありがたいと感じています」
意外にも、「30代は本当に仕事がなかった」という。どこか懐かしそうに、「そんな風に見えなかったけど、とよく言われるんですけどね」と笑った。
「当時は自分的には仕事していなくて、その分、子育てにたくさん時間を費やせたことは、家族にとって本当に幸せなことだったし、そこに悔いはないです。そこからバラエティー番組とかたくさんイベントに呼んでもらったり、こうしてコンサートをやらせてもらえるくらいまで来れたというのは、一歩一歩が尊いなと感じます」
今回のツアーにも、長年にわたって相川の音楽活動を支えてきたプロデューサーの織田哲郎が帯同し、師弟共演で盛り上げる。
「往年よりコンサートをやってしまっています(笑)。また織田さんと一緒にやるコンサートは特別なものがあるし、見ている方にとってもとても大切なものになると思います。昨年の30周年ツアーの続きでそこでやれなかったものを今年やれるし、私たちが30年間ずっと描いてきたものや“これからの相川七瀬”だったり、そういう集大成プラス未来を見せられるようなツアーになっていって、武道館でそれが爆発すればいいというイメージです」

日本武道館は「特別な場所」
相川が初めて日本武道館に立ったのは、瞬く間にスターダムへと駆け上がり、ミリオンヒットを連発した1997年9月9日。初の全国ツアーのファイナルとして行われた公演だった。翌年も行い、あれから28年。日本武道館は変わらず「特別な場所」だという。
「最後の武道館から28年が経っていて、またそこを目指そうという気持ちになれていることが本当に清々しいです。そんな自分になっていることが信じられない部分もありますけど、自分を信じたい思いもあるので楽しみですね」
今年5月、FOD『横浜DeNAベイスターズL!VE 2026』中継テーマソングとして『Challengers』をデジタルリリース。「未来を切り拓くメッセージを込めた」渾身の応援ソングだが、音楽だからこそ与えられるものがあると相川は話す。
「人との会話で言われたら入ってこないんだけど、音楽で歌われたからフレーズが入ってきて納得するという場面って、たぶんみんなあるじゃないですか。腹落ちするみたいなのって。でもそれ、親しい人に言われたら絶対に怒っちゃうっていうようなこととかも、音楽だから受け入れられるっていう瞬間って、なんとなくあると思うんですよ、心の状況って。やっぱりそれが音楽の醍醐味なのかなとも思います」
さまざまな経験をしてきた中で、音楽へのアプローチの仕方も変わった。「今が一番楽しい」。そういって笑顔を見せ、代名詞とも言えるロック以外の部分への思いも明かす。
「音楽的な変遷としては、織田さんプロデュースのあと、いろんなプロデューサーの方と一緒にやらせていただいて、そのあとセルフプロデュースになっていくんですけど、“織田さんが作った相川七瀬”がベースになっていて、そこのサウンド・世界観は私の中の根底で共有されている状態です。その中で東日本大震災のあった2011年からは、わりと静かな曲も並行して歌うようになりました。
ファンの方には物足りない世界なのかもしれないけれど、恋愛のバラードとは全然違う、もう少し大きな愛や人生を歌うことが自分の中では心地良くなり始めました。あの世界観は、自分的に60(歳)になったら円熟すると思っています。あれは私がもがいて、もがいて、もがいた先につかみ取った自分の世界。誰にプロデュースされたものでもなく、私が自分で作り上げた、私のすごく深い部分の言霊です。ロックが歌えなくなっても、90(歳)ぐらいまではあのジャンルは歌えるなと考えると、70(歳)以降の相川七瀬の投資かなと思っています(笑)。ロックは私にとっての幹線道路、裏道としての心を歌うような和のメロディー、その両方を持っていきたいです」

海外公演の強化にも意欲
デビュー当時に20歳だった相川も、3児の母となり、年齢とともにさまざまな経験を重ねてきた。かつては「楽しむ余裕も、何か失敗しても振り返る余裕も時間もなかった」が、今は自分をコントロールする術が身に付いたという。
「自分をデザインすることに随分長けてきたので、自分を自分でコントロールしてプロデュースできるところまで来たという感じで、やっと等身大でいられるというか、ありのままでいていいんだなという風に思っています。今が一番楽しいと言ったのは、等身大の自分で歌が歌えるから楽しいんだなと。だからかつての思い出とともに、少し違う私のエネルギーも皆さんには受け取っていただけるかなと考えています」
目指すは「生涯・歌手」か尋ねると、相川は「歌が嫌いだと思ったことは一度もないんです」とうれしそうに語った。
「誰に求められなくても、やっぱり私自身が歌っていたいから、きっとずっと歌うんだろうなと思います。去年ブラジルに行って、今年久しぶりに台湾にも行って、昔のアルバムを持って待っていてくれる方たちを自分の目で見たら、もっと海外で公演をやってみたいと思うようになりました。海外でのチャレンジは、この10年でやっていきたいです」
“夢見る”力を取り戻した歌姫は、自分の今後に壮大なビジョンを描いている。
□相川七瀬(あいかわ・ななせ)1975年2月16日、大阪府出身。1995年に『夢見る少女じゃいられない』でデビュー。1stアルバム『Red』は270万枚を超えるミリオンセラーで女性ロックボーカリスト初のオリコン1位を獲得。その後、『恋心』『トラブルメイカー』『Sweet Emotion』『彼女と私の事情』など数多くのヒット曲を世に放ち、2025年にデビュー30周年を迎えた。音楽活動の一方で、高卒認定試験を経て45歳で大学に入学し、民俗学を専攻。24年3月に大学を卒業後、同大学院で民俗学を専攻し、修士課程を修了している。
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