【オヤジの仕事】ダイアモンド☆ユカイが初めて語った父親のこと「ふんどしを締めた偏屈で無口な大正生まれ」
来年、ソロミュージシャンとして活動30周年を迎えるダイアモンド☆ユカイ(57)。音楽活動を中心に舞台・映画・バラエティー番組と幅広く活動し、ブログでは妻や子供たちとの日々の生活を赤裸々につづる。そんなロックシンガーが、これまで多くを語ることがなかった父親 晃さんについて、初めて語ってもらった。2回に渡ってお届けするロングインタビュー、前編は父親との思い出について聞いた。
親父の昔のことは何にも知らないんだよね
来年、ソロミュージシャンとして活動30周年を迎えるダイアモンド☆ユカイ(57)。音楽活動を中心に舞台・映画・バラエティー番組と幅広く活動し、ブログでは妻や子供たちとの日々の生活を赤裸々につづる。そんなロックシンガーが、これまで多くを語ることがなかった父親 晃さんについて、初めて語ってもらった。2回に渡ってお届けするロングインタビュー、前編は父親との思い出について聞いた。
「親父は、めちゃくちゃ偏屈でね、無口だし、自分のことを語らない人だったね。だから親父が亡くなってから初めて聞いた話が多くてね」
田所豊として生を受けたとき、大正生まれの父・晃は40を過ぎていた。
「若い頃はインテリだったようで、早稲田大学を出て、東京都の職員として最初は都庁に勤めていたんだけど、戦時中に結核を患って、肺をひとつ取っちゃった。それでいつ倒れるかわからないので出世の道を諦めて長く仕事を続けられる福祉課を希望したらしい。だから親父は生涯、福祉の精神を持った人だったね。肝っ玉母さんみたいなお袋とは正反対に、痩せていて、人と会話をするのも苦手で、部屋に引きこもっているようなタイプだった。まるで太宰治だよ。親戚が家に遊びに来ても、顔を見せず、2階でひっそりと本を読んでいたりする。高度成長時代の脂ぎったタフなイメージを連想させる典型的な“昭和のオヤジ”と真逆だったね」
当時のユカイ少年は母親譲りの活発なスポーツ少年だった。
「俺たちの時代って“スポ根”が流行っていて『巨人の星』や『あしたのジョー』に憧れたりとかね。でも親父はこっちが張り切っていると逆に『無理するなよ』って言うんだよ(笑)。『程々にしろよ』ってよく言ってたね。小学生の頃、キャッチボールをしたんだけど、俺が投げたボールが捕れなかったんだ。『うちの親父はダメだな』って、そう思ったのを覚えてる。でも親父はもう50を過ぎていて、見た目は白髪の初老のような感じだったんで、きっと無理やり俺につき合ってキャッチボールしてくれたんだろうね」
そんな父親の生い立ちや若い頃の話を知ったのは亡くなった後だったという
「親父は自分のことを語らない人だったんだよね。だから亡くなってからお袋や親戚に聞いて初めて知ったことが多かった。例えばずっと東京の大森あたりの出身だと思い込んでいたんだけど、少し関西訛りがあって、不思議だなって思っていたら、実は生まれは神戸だった。そういえば親父はジャイアンツじゃなくて近鉄バファローズが好きだったよな、なるほどそうだったのかってね」
整理整頓好きな父親の趣味はカメラだった
几帳面な性格の父親は部屋をいつもキレイにしてゴミひとつ落ちていなかったという。
「だから親父の生きている間は、本当に部屋はチリひとつなかった。箱に『何月何日』って貼って、整理したり。きっと仕事もそうやってきっちりやっていたんだと思う。趣味みたいなものをあまり持っていない人で働くだけというか。お祖父さんは能の先生で、親父はヴァイオリンを習っていたとお袋が話していたけど、親父からその話を直接聞いたことはなかったね」
父親の趣味はあまりなかったと話したが、「そういえば」と続けた。
「俺が生まれる前まで、親父はカメラが趣味で街の風景とか色んなものを撮っていたんだ。関東大震災の頃の写真とか、戦前の銀座とか、貴重な写真がいっぱいあって、自分で現像していたんだ。俺が生まれる前に従兄弟に全部譲ったんだけど、後にその従兄弟はカメラマンになった。当時の写真はしばらく残っていたんだけど、引っ越したときになくしてしまったんだよね。撮るのは好きだったみたいだけど、自分が撮られるのは嫌いな人だったんだよ(笑)。他には絵を書くのが上手かったね。チラシの裏によく風景とかの絵を書いてくれて、小さかった俺を楽しませようとしてたんだろうね」
そんな父親との思い出についてさらに聞いてみた
「ほんと静かで、隣に座っていても、いるのかいないのか存在感がなかったよね。たまに話しをすると、ちょっと斜めに物事を見るような変わった話ばっかりするんだよね。例えば昔の野球の話で、沢村栄治が日米野球でベーブ・ルースとルー・ゲーリックから三振を取ったときの話をしながら、『あれは盛り上げるためにわざと三振したんだよ』とか。歴史の話も全部斜めからの話ばかりで、何を考えているのかわからなかったけど事実と違って面白かった。それと大正生まれだったから“ふんどし”をしてたんですよ。だから家に友達を連れてくると、ひらひらと風になびいて物干しにかかっている布みたいなのを指して「あれ何?」とか友達に聞かれたりしてね(笑)」