資産家一族からの転落、「起業だけはするな」が家訓に フィットネス業界の風雲児、波瀾万丈の半生

フィットネス分野で革新的なサービスを多数打ち出し、約4年間で売上高1360%の急成長を遂げるなど、大きな注目を集める経営者がいる。メジャーリーガーやプロアスリートも愛用するプロテインブランド「VALX(バルクス)」を手がける株式会社レバレッジの只石昌幸社長は、自他共に認める破天荒な半生を歩んできた。念願のキーエンス入社後わずか3年で退社、無職時代を経てフィットネス業界の風雲児に返り咲いた強面社長の、経営者としてのルーツをひもとく。

プロテインブランド「VALX」を手がける株式会社レバレッジの只石昌幸社長
プロテインブランド「VALX」を手がける株式会社レバレッジの只石昌幸社長

地元で指折りの資産家の家に生まれながら、事業の倒産が相次ぎ転落を経験した少年時代

 フィットネス分野で革新的なサービスを多数打ち出し、約4年間で売上高1360%の急成長を遂げるなど、大きな注目を集める経営者がいる。メジャーリーガーやプロアスリートも愛用するプロテインブランド「VALX(バルクス)」を手がける株式会社レバレッジの只石昌幸社長は、自他共に認める破天荒な半生を歩んできた。念願のキーエンス入社後わずか3年で退社、無職時代を経てフィットネス業界の風雲児に返り咲いた強面社長の、経営者としてのルーツをひもとく。(取材・文=佐藤佑輔)

 父方、母方双方の祖父が経営者という、地元・群馬でも指折りの資産家の家に長男として生まれ育った只石氏。しかし、小学校6年生のときに家業が相次いで倒産、一転して借金取りが家に押し掛けるような少年時代を過ごしたという。

「小学生のときのお年玉が、兄弟と親戚の子と3人合わせて100万円とかいう世界。ほとんど親が回収してしまったと思いますが、金庫から札束が出てきて驚いた記憶があります。それが6年生のときにどっちの会社も倒産して、おまけに父の働いていた三越系列のデパートまで倒産。『起業だけはするな』が只石家の家訓になり、絶対に倒産しない大企業に行けと、門限は午後6時、テレビは午後7時までで、勉強ばかりさせられる生活でした」

 あらゆる娯楽を禁じられた只石氏が、唯一没頭したのが読書。毎週のように図書館に通い、児童書の棚はほとんど読破した。中学では厳しい両親に反発し、荒れた日々が続く。あるとき、ふざけて友人にけがをさせてしまった際、教師からかけられた言葉が人生を変える契機になったという。

「『お前、もったいないよ』と。成績はほとんど最下位でしたけど、『話してればお前が本を読んでいるのは分かる。けんかが強くてもそれだけだけど、頭を使えば世界を相手にできるのに』と言ってもらって。それがすごくうれしくて、すぐに両親に塾に行かせてくれと頼み込んだ。今まで一緒に悪さしてた友達から壮絶ないじめを受けたりもしましたが、やると決めた以上気持ちは揺らがなかった」

 県内有数の進学校に合格するも、その後は気持ちが切れてしまい、怠惰な学生生活を送る。再び火がついたのは、就職活動を控えた法政大3年生のとき。国内屈指の高給企業、キーエンスの採用案内を手にしたときだった。

「いわゆる就職氷河期のど真ん中で、時代の閉塞感からロン毛のサーファースタイルで適当な就活をしてたんです。そんなときにキーエンスの封筒が届いて、『平均年収1600万円、君も挑戦しないか』って書いてある。これだ! これこそおやじの言う絶対倒産しない大企業だし、平均1600万円ならビリでも800万円は間違いない、勝ち組だと。ロン毛からザ・リクルートヘアにして、とにかくキーエンス1本で、ありとあらゆることをやりました」

 OB訪問では総勢72人のOBに接触。徹底してキーエンスが求める人物像になりきった。

「そこまで必死になると、神がかってくることもある。面接に行く途中、電車の網棚に置きっぱなしの夕刊があって、見出しに『キーエンス』と書いてある。隅から隅まで読み込んで、面接で『今日の○○新聞の夕刊にもあるように……』って話したら、面接官が『君、情報早いね』って。内定をもらったときは本当にうれしかったのと同時に、すでに完全燃焼していました」

 入社後、研修初日から同期との高い壁を実感。仕事への興味や情熱も持てず、あれほど憧れたキーエンス社員の肩書をわずか3年で手放した。

「本当にどうしようもない、クソみたいな社員でしたよ。ろくに仕事もせずサボって遊んでばかり。その上、上司や先輩に『そんなに頑張ってどうするんですか。僕、先輩みたいな人間になりたくないっすよ』と息まいて。3年目のボーナスが出たその日に辞表を持っていって、引き継ぎするほどの仕事もしてこなかったからその場で辞められた。それでも上司には『お前にはここよりも合う仕事がきっとあるよ』と言っていただいて」

キーエンス退社後、2年の充電期間を経てトップブロガーに返り咲き

 その後は元キーエンス社員というプライドが邪魔をして、世の仕事をバカにし、無職の日々が続いた。退社から2年がたったころ、自身の現状に危機感を感じ、キーエンス時代の同僚に相談。自分の名前を売り込むためにブログを始め、「こだわり社長」のハンドルネームで瞬く間にトップブロガーに返り咲いた。

「キーエンスの内定を勝ち取ったときと一緒で、上から順に当時のトップブロガー200人に連絡を取ってノウハウを学びました。読まれるテーマは衣食住、その中でも敷居の低い食を狙い、オープン直後の店に誰よりも早く来店してブログに書く。するとどこにも情報が出てないから、その店が話題になったときにSEO(検索エンジン最適化)で1位になれる。どの人気店を調べても僕の記事が出てくると、逆にグルメ雑誌から取材を受けたりもしました」

 グルメブロガーが軌道に乗り始めたころ、六本木の交差点で偶然サイバーエージェントの藤田晋社長に遭遇。このときも千載一遇のチャンスを逃さなかった。

「『君のブログ知ってるよ。頑張ってね』と言われて、このままじゃただの名刺交換で終わっちゃうと思った瞬間、『藤田社長、あなたのやり方は間違ってますよ』と口から出ていた。青ざめながら『芸能人集めてブログやらせても金がかかるだけ。これからは僕みたいな一般人を公式ブロガーにしないと』とまくし立てたら、『君、面白いこと言うね』と」

 この一言が藤田社長の琴線に触れ、当時芸能人しか登録されていなかったアメーバブログの公式ブロガーに一般人として初登録。プロモーションも盛んに行われ、わずか半年でアメブロ1位に躍り出た。飛躍を足がかりに、レバレッジの前身となるコンサル会社を起業する。38歳のときに経営者人脈を築く目的で空手を始め、シニアの部で8度の大会優勝。これが現在のフィットネス事業につながっていく。

「最初は全然勝てなかったのが、パーソナルトレーナーをつけてからは連戦戦勝。筋トレってすげーなと思う反面、有名なフィットネスジムは高いところばかりで、優秀なトレーナーと顧客がマッチングできていないんじゃないかと」

 2016年、フィットネス業界専門サイト「ダイエットコンシェルジュ」を立ち上げ。完全成果報酬制で、パーソナルトレーナーと顧客を結ぶサービスを始めた。手応えをつかみ、次の矢としてトレーナー養成スクールを開設すると、全国各地から2000人を超える応募が殺到。着実に地盤を築き、満を持して参入したのがプロテインブランド「VALX」だ。監修は、元プロ野球選手の松坂大輔氏や、ダルビッシュ投手のトレーナーとしても知られる、ボディービルダー界の“レジェンド”山本義徳氏が務めている。

「全国のトレーナー人脈に、誰の監修がいいかヒアリングしたところ、9割以上から山本先生の名前が上がった。過去にプロテイン事業に失敗している山本先生には何度も断られましたが、しつこくマーケティングの力をプレゼンし、何とか口説き落としました」

 プロテインといえば、国内シェア1位を誇る明治の「ザバス」が有名だ。後発のVALXはあえて広告費をかけず、山本氏による筋トレ専門YouTubeチャンネル「筋トレ大学」や、プロのトレーナーによる口コミで、まずは本格派のコアな筋トレファンが求めていたニーズを獲得。そこからシャワー効果で一般層にも市場の裾野を広げている。こうした手法が取れるのは「商品が本物だから」と自信を込める。

「変な話、マーケティングがうまければモノは簡単に売れるんですよ。でもモノがあふれている今の時代において、マーケティングのみで売り続けるのは不可能だと思っています。お客様に買い続けてもらうためには、本物を追い求めることが必要。“本気でやらなきゃもったいない”。ここまで来るのにいろいろあった人生ですけど、僕の原点は中学のときから変わってません」

 本気で挑むことを突き詰め、一点突破で走り続けてきた人生。只石社長は変わらぬまなざしで時代の先を見据えている。

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