33年間のリングに別れ「火の玉小僧」菊地毅秘話 ジャンボ鶴田さんゆかりの都市伝説も【連載vol.40】

「火の玉小僧」菊地毅が「リング」から去った。5月3日、地元の宮城・仙台PIT、プロレス酒場GOLD15周年スペシャル記念大会に出陣し「プロレスラー33年 リングファイナルマッチ」で金本浩二と対戦。33年の思いをこめて健闘したものの、金本のムーンサルトプレスに散った。

金本浩二(右)とのファイナルファイトでリングに別れを告げた菊地毅【写真:菊地毅提供】
金本浩二(右)とのファイナルファイトでリングに別れを告げた菊地毅【写真:菊地毅提供】

小橋建太と同日デビュー 思い出す火の玉ファイト

「火の玉小僧」菊地毅が「リング」から去った。5月3日、地元の宮城・仙台PIT、プロレス酒場GOLD15周年スペシャル記念大会に出陣し「プロレスラー33年 リングファイナルマッチ」で金本浩二と対戦。33年の思いをこめて健闘したものの、金本のムーンサルトプレスに散った。

 流血しながらも菊地は「今は大変な状況だけど、みんなプロレスを見に来てくれ。これからもプロレスを頼む」と、改めてプロレスへの熱い思いを訴えた。

 とはいえプロレスから完全に離れるわけではない。菊地からプロレスを取ったら、何も残らないことは、菊地自身が一番よく分かっている。首の手術を受ける予定だったが、コロナ禍で待機している間に、トレーニングで筋力をアップした成果で、回避できた。今後は「マットプロレス」に取り組む。

 元より、大東文化大学レスリング部で活躍。1986年の全日本学生選手権フリースタイル100キロ級で優勝している。

「リングを引退と言っても、自分の人生が終わるわけではない。むしろ、これから…」と、前向きだ。

 思えば「爆弾小僧」ダイナマイト・キッドに憧れ、プロレスラーを志した。「初代タイガーマスクと闘うキッドの恐れを知らぬファイトにしびれてしまった」と振り返る。プロレスラーとなり、キッドが目の前に立っていた時には、幸せの絶頂だった。自身に「火の玉小僧」の異名が付けられ、菊地は天にも昇らんばかりだった。

 33年のレスラー人生のスタートは全日本プロレス。88年2月に小橋建太さん(当時は健太)と同日デビューを果たしている。シリーズに同行取材していたが「そろそろらしい」「今日か、明日か」と、何かと忙しい菊地と小橋をしり目に、こちらの方がドキドキしてしまったことを思い出す。

 ついにその日がやって来た。滋賀県栗東町民体育館だった。小橋と並んで、ジャイアント馬場さんからデビュー前の最終チェックを受ける姿を思い出す。

 90年に超世代軍入りし、付き人を務めたジャンボ鶴田さんに、連日挑み、豪快にはじき返されるけなげな様子に人気が爆発した。もっとも「三沢(光晴)さんや川田(利明)さんに、迷惑をかけまいとついていくのに必死だった」と、本人はいっぱいいっぱいだった。

 鶴田さんのチョップを一体、何発食っただろうか? ドロップキックに何度、弾き飛ばされただろうか? バックドロップに意識を飛ばされたことも数知れない。

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