1日5箱吸うヘビースモーカーに肺がん宣告 40代経営者が突きつけられた「5年生存率20%」の告知 酸素ボンベでつないだ命
命に関わる大病を経験して、仕事観が「180度変わった」。夜の“お酒の席”を断り、朝型の社長スタイルへ。肺がんステージ3から復活を果たした経営者が、新たな挑戦を続けている。マンション・ビル・工場などの大規模修繕を手がける株式会社アケボノ(埼玉・熊谷)の細田健一社長だ。医師から受けた「5年生存率は約20%」の告知。社長不在の中で必死に働く社員たちの様子を知って奮起し、約1年にわたる闘病を経て復帰した。「会社を支えてくれている社員に恩返しがしたい」と利益還元を追求し、「社員の平均年収1.5倍超」を掲げている。「命を燃やして突っ走る」。がんサバイバーの55歳、不屈の社長に迫った。

社長に就任して3年弱、突然の告知
命に関わる大病を経験して、仕事観が「180度変わった」。夜の“お酒の席”を断り、朝型の社長スタイルへ。肺がんステージ3から復活を果たした経営者が、新たな挑戦を続けている。マンション・ビル・工場などの大規模修繕を手がける株式会社アケボノ(埼玉・熊谷)の細田健一社長だ。医師から受けた「5年生存率は約20%」の告知。社長不在の中で必死に働く社員たちの様子を知って奮起し、約1年にわたる闘病を経て復帰した。「会社を支えてくれている社員に恩返しがしたい」と利益還元を追求し、「社員の平均年収1.5倍超」を掲げている。「命を燃やして突っ走る」。がんサバイバーの55歳、不屈の社長に迫った。(取材・文=吉原知也)
がん発覚は、社長に就任してまだ3年弱、48歳になる直前の2019年1月のことだった。1日5箱を吸うヘビースモーカーだったが、大きな病気をしたことはなく、健康診断はほとんど行っていなかった。人間ドックの結果を告げる一本の電話が人生を変えた。
「実はお袋ががんで亡くなって、検査を受けた方がいいんじゃないか、ということになったんです。それで人間ドックを受診しました」
当初は「不自然な点がある」との連絡が入り、大きな病院で再検査を受けた。診断は「肺がんステージ3」だった。「現状では手術は受けられないこと、5年生存率は20%程度だと聞かされました。頭が真っ白になりました。家に帰って、家族に冷静に報告しました。それでも息子の顔を見たら耐えられなくなって、風呂場で大泣きしました」。会社を揺るがす緊急事態に見舞われた。
入院中は、抗がん剤治療の副作用による苦しみの連続。深夜の静まり返った病室で一人天井を見つめた。「ここで終わりなのか」と絶望することもあった。それでも、スマートフォンを通して会社の数字をチェックし続けた。「会社をつぶしてしまったら元も子もない。社員たちの人生が懸かっている。ずっと葛藤していました」。
見切りをつけて辞める従業員もいた。顧客リストを持ち出したという人間の話も耳に入ってきた。裏切りに絶句した。それでも、残った社員たちは「社長の帰る場所を守る」と必死に現場を回し、会社を支え続けてくれた。
「その報告を聞いた時、涙が止まりませんでした。同時に、覚悟が決まりました。絶対に生きて戻る。そして、社員が日本一幸せになれる最高の会社をつくる。心に誓いました」
「『きつい、汚い、危険』と言われがちな建設業界だからこそ」
治療に転機が訪れた。主治医から、ステージ3の肺がん患者を対象にした治験があることを伝えられ、参加することになった。約半年間の抗がん剤治療を経て、19年夏に手術を受けて肺の一部を切除。手術は無事に成功した。その後はリハビリに取り組んだ。「術後は酸素ボンベなしでは動けない生活でした。リハビリ初日は100メートルすら歩けなかったです。退院後、自宅に戻ってからも、2階にはい上がるのが精いっぱい。家族に面倒を見てもらって、本当に感謝しています」と振り返る。
秋を迎え、酸素ボンベを引きながら会社に顔を出し始めた。完全復帰とはいかないまでも、経営が気がかりでどうしても体が動いた。「目の前に広がるいつものオフィス、そして私を笑顔で迎えてくれた社員たちの姿を見た瞬間、胸が熱くなり、『生かされた』という深い感謝が込み上げました」。
2020年に復帰すると、新たな経営の軸に「社員の幸せを最大化すること」を据えた。「『きつい、汚い、危険』と言われがちな建設業界だからこそ、命を預けて働いてくれる社員が業界で一番報われ、家族に誇れる会社にしたい。改めてそう考えました」。会社の構造を根本から変えていった。
営業・積算・施工管理の完全分業制を導入し、業務に専念できる環境を整えた。社内AI研修システムを構築。営業担当者の採用と人材育成に注力するようになった。現在、協力会社は約300社、自社社員は55人。毎年採用を増やしながら、売上を積み上げている。
毎晩のお付き合い、飲み会でたばこをすぱすぱ吸う――。そんな社長業のスタイルを抜本的に変えた。会社の飲み会自体を廃止し、自身は取引先や経営者との接待飲みをすべてやめた。土日のゴルフも手放した。どうしても外せない仕事の会合は、ランチかお茶会に。「それでも、濃密なディスカッションを行うことができています。夜の飲み会3時間に費やしていた時間と体力を、朝から万全の体調でフルスロットルで動くことに振るようにしました」。病気前の朝の出社は8時頃だったが、今は7時20分には席に着いている。かつて接待にかけていた月200万円の経費は、現在はほぼゼロだ。
「それまで売上8億円ぐらいだったのが、私の闘病による不在と新型コロナウイルス禍のダブルパンチもあって悪影響が出ました。2021年は5億円台まで落ち込みました。売上高は現在、20億円規模まで伸びています」。V字回復を実現できた。社員への恩返しも形になってきたといい、「平均年収を1.5倍にする目標を『2倍』に上げていきたいです。高収益を出していますから」と言い切る。
「どうか自分を責めないでください」
がん告知から6年以上が経過した昨年末、主治医から「再発はありません」と告げられた。治験の経過観察のため年1回の検査は続ける予定だが、一つの区切りをつけることができた。
新たな朝の習慣が、復帰後の大きな原動力になっている。毎朝5時に起床し、体力づくりを兼ねた1時間のウオーキング。手放せないのが、ポケットに忍ばせる小さなメモ帳だ。「朝歩いていると、いろいろとアイデアが浮かぶんですよ。こうやった方がいいな、あの案件はこうしようって。朝日を浴びると、ひらめきがどんどん出てきます」。朝型生活への“改革”が、高い成果に結びついている。
同じように病魔と闘うビジネスパーソンに向けて、伝えたいことがあるという。「どうか自分を責めないでください。現場を離れることで初めて気付けることもあります。あなたの復活を待っている人が必ずいます。その力を信じて、まずは目の前の治療に一歩ずつ向き合ってください」と語りかける。
「60歳までに売上100億円、65歳で300億円」という数字目標を口にする時、その目は静かに燃えている。かつて夜の街で飲み会を繰り返していた頃は「そこそこ飯が食えればいい」と惰性で経営していた。今は違う。目標は明確だ。「病気になる前と、なった後では、自分でも別人になった感覚です。今の方がずっと充実しています。生かされた命。足踏みしている時間はない。死ぬまで燃やし続けようと思っています」。力強く前を見据えた。
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