「プロレスの神様」カール・ゴッチさん命日 日本マット界に残した計り知れない功績

「プロレスの神様」カール・ゴッチさんの13回目の命日となった28日、文京区議会議員でプロレスラーの西村修が、東京・南千住の回向院にあるゴッチさんのお墓を訪れた。

ゴッチさんが愛飲していたワインを供える西村修【撮影:柴田惣一】
ゴッチさんが愛飲していたワインを供える西村修【撮影:柴田惣一】

「議員レスラー」西村修がお墓参り

「プロレスの神様」カール・ゴッチさんの13回目の命日となった28日、文京区議会議員でプロレスラーの西村修が、東京・南千住の回向院にあるゴッチさんのお墓を訪れた。

 まずはお墓を掃除する西村。30分ほどかけて丁寧に。きれいにすると、ゴッチさんが大好きだったワイン「ボジョレー・ヴィラージュ」を、そして、これまたゴッチさんの愛した「ホンジュラス産の手巻き」の葉巻を供えた。

「決して高額なモノではないけど、美味しいワインと葉巻。一度コレと決めると、ゴッチさんはとことん、こだわっていた。リングを降りても頑固な方でした」と、亡くなるまで交流のあった西村は遠い目をして空を見上げた。

 墓前で大きな蝶がどこからともなく飛んで来た。ひらひらと西村の頭上を舞い、西の方角へ飛び去った。昨年の十三回忌でも蝶が飛来したが、今年も飛んで来た。まるでストロングスタイルとでもいうような黒い大きな蝶だった。西方浄土。西の方に極楽浄土があるという。ゴッチさんが蝶になって飛んで来たのだろう。

 ゴッチさんは1948年ロンドン五輪にレスリングのベルギー代表として出場後、プロレスラーに転身。欧州、アメリカ、カナダなどで活躍している。

 61年に初来日。選手として活躍する一方で、コーチ術が高く評価され、68年には日本に移住し「ゴッチ教室」を開き、アントニオ猪木、山本小鉄ら日本プロレス勢を鍛え上げた。

 その後も、度々来日して多くの日本人レスラーを指導。フロリダ州タンパの「ゴッチ道場」でも、日本からやってくる選手を育成した。器具に頼らず、自分の体重を利用するゴッチ流のトレーニングは今でも語り草となっている。

 日本プロレス、新日本プロレス、UWF……多くの団体で顧問を務め、日本を、日本人をこよなく愛していたゴッチさんも、2007年に亡くなった。

 アメリカでは遺言通り、フロリダ州の自宅近くの湖に散骨されている。

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