若返る武藤敬司 人工関節術を経て“身長が全盛期に戻っていた”

「武藤さん、あんなに大きかったかな」と戸惑うレスラーたち。2018年3月、両膝に人工関節を設置する手術を受け、19年6月、1年3か月ぶりに復帰した武藤敬司は、背筋が伸び、身長が全盛期に戻っていた。

武藤敬司【撮影:柴田惣一】
武藤敬司【撮影:柴田惣一】

三銃士、四天王で唯一闘いの最前線に立つ

「武藤さん、あんなに大きかったかな」と戸惑うレスラーたち。2018年3月、両膝に人工関節を設置する手術を受け、19年6月、1年3か月ぶりに復帰した武藤敬司は、背筋が伸び、身長が全盛期に戻っていた。

「若返った。まるで妖怪だよな。いや、サイボーグか」。周囲を驚かせた稀代の天才レスラーは、スター街道をひた走ってきた。

 1984年、新日本プロレスでデビュー後、いち早く海外に遠征しキャリア2年余りで「スペース・ローンウルフ」として凱旋帰国。メインイベントに抜擢されている。紆余曲折はあったものの、海外マットでも大活躍。「グレート・ムタ」なるもう1つの顔で米国各地のベルトを獲得するなど、日本よりもいち早く米国でスーパースターの地位を確立した。

 90年代には、新日マットでもトップ軍団の一角を占める。95年には、IWGPヘビー級王者にしてG1クライマックスを制し、同年10・9東京ドーム大会ではUWFインターナショナルの高田延彦を退け、同年のプロレス大賞MVPに選出されている。

 99年、2001年、08年にもMVPを獲得しており、現在に至るまで常に闘いの最前線に立ち続けてきた。

 その間に、三銃士、四天王の同世代のライバルたちは、橋本真也、三沢光晴が死去、蝶野正洋、川田利明、田上明、小橋建太は引退したり、セミリタイア状態で、武藤1人が次の世代を担う選手たちの壁となっている。

 膝の負傷に悩まされ、長期欠場もあったが、両膝に人工関節を入れる決断が功を奏し、選手寿命をいよいよ伸ばしている。

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