渋谷系を知らない若者と「東京は夜の七時」でつながる喜び 40周年の野宮真貴が語った

40周年を機に“渋谷系の女王”から“オルタナティブ・ポップスの女王”へ【写真:荒川祐史】
40周年を機に“渋谷系の女王”から“オルタナティブ・ポップスの女王”へ【写真:荒川祐史】

音楽の聴き方は大きく変わった

 渋谷系と呼ばれていたピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターといったアーティストの特徴は、例えば60年代の隠れた名曲を掘り起こして自分たちのフィルターを通して再構築して出していたんです。Night Tempoさんはその現代版。時代が変わっても渋谷系の手法は今も生きているんだなって共感するところがたくさんありました。

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 Night Tempoさんにアレンジしてもらった「東京は夜の七時」を、古くからの仲間でファッションデザイナーのKEITA MARUYAMAさんから、ファッションショーで歌ってほしいというリクエストをいただき、早速ショーで歌いました。するとピチカートを知らない若い世代のモデルさんたちが「あの歌は何ていう曲?」って口々に興味を示してくれたんです。

 Night Tempoさんにアレンジしてもらったことで若い世代にも届いたという実感を得られてとってもうれしい瞬間でしたね。

 あらためて90年代を振り返ると、海外の音楽に憧れていた時代から、東京から発信しているものこそが最高にカッコいいというふうに時代が大きく逆転したように思います。特に渋谷系と呼ばれていたアーティストは、音楽だけじゃなくてファッションやデザインといった文化そのものを発信していて。海外の若者たちが「行きたい都市は東京」と口々に言いはじめた頃でした。ピチカートはワールドツアーへ行くと、まさにクールな東京を代表するバンドとして受け入れられていましたね。それでパリコレや映画で楽曲が使われることも多かったのです。

 あの頃と比べると今の音楽の聴き方は大きく変わりましたよね。驚いたのは、ピチカートの前に組んでいたニューウェーブバンド「ポータブル・ロック」の楽曲を配信で聴いたイギリスの若手人気バンドが、「ポータブル・ロックにすごい影響受けている」と評価してくれていたり。配信時代に入ってから今の曲と昔の曲の垣根がなくなったのは大きいですよね。

 私がヴォーカルを務めたピチカート・ファイヴやポータブル・ロックの曲、渋谷系の曲、そして彼らが愛して、リスペクトした過去の名曲は、決して過去のものではなくて、今聴かれるべきものとして私達の頭上を旋回している。その名曲たちを今の世代の若いミュージシャンたちが捕まえてアレンジをして、リスナーに届けていく。それが音楽の連続性というか、音楽のつながりを生んでいくと思います。私は一人のヴォーカリストとして、同世代や若い世代のミュージシャンたちと一緒に、過去の名曲と新曲を歌い継いでいきたいと思っています。それが「オルタナティヴ・ポップスの女王」としての使命かもしれませんね。

□野宮 真貴(のみや・まき)ミュージシャン/エッセイスト。1981年「ピンクの心」でデビュー。その後ポータブル・ロックを経て、80年代ニューウェーヴシーンを代表する存在に。ピチカート・ファイヴ3代目ヴォーカリストとして、90年代に一世を風靡した「渋谷系」ムーブメントを国内外で巻き起こし、音楽・ファッションアイコンとなる。2001年からソロアーティストとして活動。またエッセイストとして「赤い口紅があればいい」(16)、「おしゃれはほどほどでいい。」(17)(幻冬舎刊)を刊行し、共にベストセラー・エッセイとなる。20年は還暦を迎え、モバイルファンクラブ「おしゃれ御殿」をオープン。21年はデビュー40周年を迎え、ニューアルバム「New Beautiful」を発売。5月25日にアナログ盤発売と配信リリースをスタート。

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