「もともと人間が苦手だった」 吉田類が振り返る「酒場放浪記」がはじまるまで

「吉田類の酒場放浪記」(BS-TBS)でおなじみ「酒場詩人」こと吉田類は、コロナ禍でも休むことなく酒場を巡り、山を登り、執筆を行うなど、現在72歳とは思えないエネルギッシュな活動を続けている。そんな彼の原点を探るため、吉田と親交の深いミュージシャンでメジャーリーグ解説者のオカモト“MOBY”タクヤが、彼の生い立ちから現在までを聞いた。

吉田類【写真:山口比佐夫】
吉田類【写真:山口比佐夫】

「酒場詩人」こと吉田類の原点とは?

「吉田類の酒場放浪記」(BS-TBS)でおなじみ「酒場詩人」こと吉田類は、コロナ禍でも休むことなく酒場を巡り、山を登り、執筆を行うなど、現在72歳とは思えないエネルギッシュな活動を続けている。そんな彼の原点を探るため、吉田と親交の深いミュージシャンでメジャーリーグ解説者のオカモト“MOBY”タクヤが、彼の生い立ちから現在までを聞いた。(聞き手=オカモト“MOBY”タクヤ、構成=福嶋剛)

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MOBY「類さんは、『酒場放浪記』のほかに『にっぽん百低山』(NHK総合)など登山の番組にもご出演されていますね」

吉田「やってますね。あの番組も山を下りてから地酒を飲むのが楽しみなんです(笑)」

MOBY「登山をした後に飲む地酒は最高なんでしょうね。類さんはもともと高知県の山の中で育ったとお聞きしました」

吉田「四国山地の真ん中です。僕には姉がいたんですが、物心がついた頃にはもう嫁に行っちゃって家にはいなかった。身近にいたのはヤギや牛、荷物を運ぶ馬、犬や猫、ウサギといった動物たち。だから小さい頃からヤギの乳を飲んで単独で育ったようなもんでね、根っからの野生児なんです(笑)。

 だけどその分、人間を知らなさ過ぎた。これは僕の欠点です。もともと人間が苦手だったし、家庭というものをちゃんと持たなかったから家庭の味を知らずにきちゃった。だから旅先で出会った人といつも家族みたいになっちゃうんです。そこで家族の大切さみたいなのを覚えていったんですよ」

MOBY「それが、現在の類さんのモチベーションにもつながっているんですね。そして絵描きとしてヨーロッパをはじめ、海外の放浪生活が始まったんですよね」

吉田「そうですね。絵の道具をパリに置いていて、そこを拠点に好きな画家の絵を見て学ぶために旅をしていました」

MOBY「ヨーロッパの放浪生活を終えて日本に戻った時、たどり着いたのが東京の下町だったと?」

吉田「それは自然な流れでしたね。下町っていうのは、いろんなものを受け入れてくれるから、絵やイラストを描く仕事をする上でも漂着してみたい場所だったんです。東陽町に住んで門前仲町で朝方まで飲んで、木場公園でラジオ体操やって帰って寝るという生活を送っていました」

MOBY「戦後の名残もあって、あの辺りは立ち飲み屋が多いですよね」

吉田「店はなんとか日銭を稼いで戦後の荒廃した土地で生活しなくちゃいけない。一方で食糧難の時代で飲んで食べられる場所というのは貴重だったから、最低でも1日3回転させてお客をいっぱい入れるために立ち飲みにしたんですよ」

MOBY「そんな歴史のある立ち飲み屋でいろんな仲間と知り合ったんですね」

吉田「そう。で、ちょっと堕落した生活が続いたので『これはいかん』と。それで昔のように登山を始めようと思って下町の飲み仲間を誘って登山隊を結成したんです。立ち飲み仲間といっても、スキーでインターハイに出た人とか、飛び込みの選手だった人とかそういう体力に自信のある若者たちもいっぱいいてね。そういう連中を連れて南アルプスに登ったりしたら、みんな山にハマっちゃったんです」

MOBY「立ち飲み屋で登山隊を結成するなんて想像もつかないストーリーですよね」

吉田「そしたらその2年後、僕は仕事で行けなかったんだけど、その連中がヒマラヤの5000メートル位まで登ったんですよ(笑)。そんなふうに立ち飲み屋に変わった人たちがいっぱい集まってきて、それも『酒場放浪記』の下地になったかもしれない。番組が始まって最初の頃に映っていた酒場は、若い頃から僕がよく知っている店が多かったですね」

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