沢田知可子、名曲「会いたい」で今だから話せる大切なこと 人生の絶頂とどん底の経験

沢田知可子の現在 「昨年末に夫婦で小田原に引っ越しました」

 さて、そんな「会いたい」が誕生したばかりの90年12月3日、新宿コマ劇場にあったシアターアプルという会場でのライブとその1年後に「会いたい」がヒットした直後の91年11月のNHKホールでのライブ映像が、今年2枚組のDVDでよみがえりました。どちらも緊張感で押しつぶされそうなステージでバンドメンバーからは終演後に「沢田の緊張が乗り移っちゃったよ」って言われるくらい貴重で初々しい(笑)。当時の私の記憶もよみがえりました。

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 91年のライブ直後に出場した「第42回NHK紅白歌合戦」も口から心臓が飛び出しそうなぐらい緊張したことを昨日のことのように思い出します。何の実力もない私がたまたま特別枠が設けられて番組後半に出場させていただくことになり、大部屋の楽屋には森山良子さんや「DREAMS COME TRUE」の吉田美和さん、香西かおりさん、坂本冬美さんもいらっしゃって、どこにいたらよいのか分からず、ふわふわしながら出番を待っていました。

 昔は緊張に負けちゃうタイプでしたが、今は本番ギリギリまで楽屋でおしゃべりをしていて、そのままのテンションでステージに上がります。そんな私を見て夫(=小野澤、ミュージシャン、プロデューサー)は、「この人は本当に『会いたい』を歌っている沢田知可子なのか?」といつも思うみたいです(笑)。

 私の夫は90年のライブでバンドのキーボードを担当していました。「会いたい」がヒットした時にはお付合いしていたので、事務所から2人の関係がバレたら困るという理由で翌年のNHKホールのライブは夫がメンバーから外されてしまいました。結局、92年からまた一緒にツアーに出るようになりましたが(笑)。

 夫と出会って30年以上が経ちますが、昨年末に夫婦で小田原に引っ越して美味しいお米と地元の魚や野菜中心の食生活に変えました。すると今までより体調が良くなって、健康的な毎日を送れるようになりました。ちょっとした夫婦ゲンカもたまにありますけど、夫が言うには圧倒的に私の方が強いみたいです(笑)。

 でも一緒に美味しいご飯を食べたらすぐに仲直りして、お酒が入ったらケンカしていたことさえ忘れてしまい、家庭内別居は最長で3時間(笑)。夫婦の約束事は、レコーディングやライブの本番前には絶対にケンカをしないことです。

 今年の3月に初の洋楽カバーアルバムを完成させました。作詞家の松井五郎先生による全曲日本語の歌詞をつけた洋楽の名曲ばかりを集めて、私の音楽ルーツでもあるカーペンターズの曲も収録されています。そんな大好きな洋楽を日本語でお伝えできることは本当にうれしいと思いながら歌わせていただきました。

 フィンガー5にあこがれて歌手になりたいと思い、デビューから35年目を迎えました。この長い時間の中で夢のような出来事と想像もつかないどん底の両方を経験しましたが、誰かの悲しみを受け止めて、一緒に涙を流せる「会いたい」をこれからも大切に歌っていきたいと思います。

□沢田知可子(さわだ・ちかこ)1987年「恋人と呼ばせて」でデビュー。91年「会いたい」が130万枚の大ヒット、日本有線放送大賞受賞、NHK紅白歌合戦出場。2000年には「21世紀に残す涙の名曲ベスト100」で1位に選ばれる。05年から「ココロとカラダに優しい歌薬」をテーマにした「歌セラピーコンサート」を開始。11年、東日本大震災復興チャリティーソング「花は咲く」に参加。16年に長岡大花火大会で、中越地震復興祈願応援ソング「空を見上げてごらん」が12年目にして「米百俵尺玉100連発花火」とのコラボレーションがかなう。22年1月、DVD「LIVE 1990 & 1991」発売。3月9日、松井五郎プロデュース&日本語歌詞の洋楽カバーアルバム「Vintage」を発売。

次のページへ (4/4) 【写真】沢田知可子の名曲「会いたい」が生まれた直後1990ー91年の貴重なライブショット
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