沢田知可子、名曲「会いたい」で今だから話せる大切なこと 人生の絶頂とどん底の経験

昨年小田原に引っ越して心身ともにリフレッシュ【写真:荒川祐史】
昨年小田原に引っ越して心身ともにリフレッシュ【写真:荒川祐史】

作詞家・沢ちひろさんとのすれ違いから学んだこと

「君の事実を感情にのせて歌ってしまうと、その曲を聞いてくれた人たちの心の中で物語を作れなくなってしまう。だから君がこの歌を解釈する前に歌って欲しかったんだ。完璧な歌詞だから、沢田は淡々と歌をのせてくれればちょうどいいんだ」

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 そういうことだったのか。私は沢さんの書いた「会いたい」という物語のストーリーテラーになって歌えばいいんだと、あの日の出来事で歌に対する考え方を大きく成長させてもらいました。きっと亡くなった先輩が沢さんを通して大切なことを伝えてくれたんでしょうね。「会いたい」は、そんな大きな愛のある曲として誕生しました。

 その後、2004年に起きた新潟県中越地震でチャリティーコンサートを開いたことがありました。「会いたい」という曲は、「亡くなった大切な人にまた会いたい」と在りし日を回想する歌で、被災された方に辛い思いを与えてしまうのでは? と初めは心配でしたが、歌ってみるとみなさんにとって悲しみを洗い流して明日を生きる力を与えてくれる歌なんだと改めて気が付きました。

 被災した方を応援しに行ったはずが、当時歌手として悩んでいた私自身が心の復興をさせていただきました。同時に「会いたい」を歌い続ける理由を教えてくれた出来事でもありました。

「会いたい」は、そんな奇跡をたくさんいただいた曲ですが、一方で「会いたい」を超えるものを作りたくても作れない。そんな苦しみに悩み続けてきました。当時、沢さんと私は切っても切れないコンビでしたから、もしかしたら沢さんも同じ気持ちだったかもしれません。

 そんな沢さんと気持ちがすれ違ってしまった時期がありました。お互いにそれぞれの道に進み、もがき苦しみながら私は新しい体制で心機一転スタートを切りました。一方で私は沢さんの心の声をちゃんとキャッチできずに寂しい思いをさせてしまったんです。

 生前、沢さんは「知可ちゃんは、お客さんからたくさん歌の反応をもらえるからいいよね。でも私は直接反応をもらえないから歌詞を書き続けるしかないの」そんなお話をされていたことがありました。歌手という職業はステージで歌うことでお客様から直接たくさんの愛をいただけますが、作詞家さんや作曲家さんは直接その愛を受け取れない分、私たち歌手が愛を届けてあげないといけなかったんです。

「会いたい」は沢さんが必死の思いで生んだ子どもです。その子がどんなふうに世の中から愛情を受け取って成長していくのか。歌を届ける私が沢さんにその「成長する姿」を伝えてあげなくてはいけなかったんです。

 まさに命を削って数々の歌を作ってくださった沢さんに私ができることは、これからも感謝を込めて沢さんの書いてくださった“宝物”を歌い続けていくことだと思っています。あの頃、いろんなことがありましたが、「沢ちひろ」というすばらしい作詞家は、沢田知可子にとって一番大切な人であったことを改めてみなさんにお伝えしたいと思います。

次のページへ (3/4) 沢田知可子の現在 「昨年末に夫婦で小田原に引っ越しました」
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