俳優・原沢侑高、どん底から這い上がった兄・原沢久喜は誇り「一番かっこいいアニキ」

さわやかな笑顔が魅力【写真:ENCOUNT編集部】
さわやかな笑顔が魅力【写真:ENCOUNT編集部】

父親代わりだった兄が俳優の夢を後押ししてくれた

 原沢家は母と子ども3人の母子家庭。兄は子どものころから家族の中でも特別な存在だったと侑高は言う。

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「ボクの人生の中でアニキの存在はオヤジみたいな存在。何かするときに力をくれたり、影響を与えてくれる存在ですね。弱音だったり泣きごとを吐かずに、常に冷静でいる。弟と妹が困ったら最終的にアニキに相談する。家族の中で最終判断がアニキでした。それを勝手にアニキに背負わせた部分がある」

 高校のとき、俳優になる夢を相談すると、背中を押してくれたのも兄だった。「やるだけやってみればいいじゃん。でも、現実的なことも考えろよ。勢いだけじゃどうにもならない世界もあるんだぞ」。覚悟を決めた侑高は部活が終わると、焼き肉店で時給610円のアルバイトをし、3年間で100万円を貯金。卒業後、兄を追いかけて上京した。

 俳優のイロハを学ぶうちに、理想と現実の違いにぶつかり、人間関係で悩むこともあった。兄に相談すると、「恩だけは忘れずに自分の信じた道を行くのが一番いい。恩返しはできなくてもいいけど、忘れないことが大事なんじゃないか。自分の信じた道、誰に何を言われようと後悔しない人生がいいんだから」と返してくれた。困ったときは親身に寄り添い、アドバイスも的確。まさに父親代わりのような存在が、侑高が見てきた兄の姿だった。

 だから、久喜がJRAを突然退社したときには驚いた。立派な寮があり、柔道に打ち込むには理想的な環境で、将来の生活も保証されていたからだ。家族にも事後報告だった。これはただごとではない、と途端に察した。

「アニキが辞めるっていう選択をすること自体が理解不能な話なんです。JRAに入ったのは将来の安定も見据えて入った。それを全部捨てたっていう時点でボクら家族はびっくり。現実タイプのアニキが侑高みたいなことした、意味分からない、何か冗談かと思った」 

 侑高も立ち止まり、考えた。思えば、これほどまでに暗闇の中をもがく兄の姿を見たことはなかった。

「リオが終わって、ボクらが想像できないくらいの精神状態だった。全日本選手権の武道館で失神して、世界選手権の初戦で負けた。そういう経験を経て、アニキはどん底だったと思う。挙句の果てにオーバートレーニング症候群。苦しいことの連続だった」

次のページへ (3/4) 銭湯で送ったエール「落ち着いてやれば絶対勝てるから」に兄は…
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