【ズバリ!近況】独特な動きとファッションで目立っていたウォーキング・トレーナーのデューク更家の今

「自分で自分をプロデュースしてきた」と語る【写真:乃木裕】
「自分で自分をプロデュースしてきた」と語る【写真:乃木裕】

モデルからウォーキング・インストラクターへ

 僕がウォーキングを独学で学んで、オリジナルのウォーキング法“デュークズウォーキング”を開発したのは、母親が亡くなったのがきっかけ。僕の母親はお酒が好きで、それが原因で肝臓をやられたんやけど、医者に「たくさん歩くように」と言われたんです。でも歩きすぎて骨折して車椅子になり、半年で亡くなってしまいました。貧乏でも僕をきちんと育ててくれた母親やったから悲しくてね。「歩くって何なんやろう。オカーチャンはどうすれば良かったんやろう」と考えました。それが37歳のとき。

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 僕は保健体育科の高校に通って、当時から身体のことに興味がありました。20代の頃はモデルやって、モデルのウォーキング指導とかもしてたんです。37歳のときに健康維持のためのウォーキング法を開発しましたが、当時はまだ歩くことに関心が薄い時代で、必要性をなかなか理解されませんでした。

 粘り強く指導を続けるうちに広がって、女性誌で取り上げられ、本が売れて、「これはそろそろオレのブームがくるな、それならボーンとやってしまえ!」と思って、ドキュメンタリー番組「情熱大陸」の話をいただいたときに、半年待ってもらってモナコに居を構えて撮ってもらったんです。日本人はそういうイメージに弱いから(笑)。そうやって自分で自分をプロデュースして、忙しくなっていきました。でも、あまりに忙しくて「このままでは身体がつぶれてしまうな~」と思って、弟子を育て、弟子が指導できるシステムを作ったんです。

健康のためにはきっちり3000歩歩けばじゅうぶん!

“デュークズウォーキング”自体は、最初、普通にウォーキングを教えていたら自分がつまらなくなって、面白くて斬新な“歩きながらやる体操”を作ろう、と考えたのが始まりです。派手なファッションは昔から大好きで、今のスタイルは20代の頃から。ファッションショーの仕事でかわいがってくださった、デザイナーのコシノヒロコ先生から「ひと目で“デューク更家だ”とわかる。その格好をずっとやりなさい」とアドバイスされ、その通りにしてきたんです。目立つから、前は街で声をかけられサインだ、握手だ、と囲まれ、突然、健康相談を受けて即席でウォーキング指導をしたこともありましたね(笑)。

 今、テレビでいろんなトレーナーがエクササイズレッスンをしてますけど、いいことやと思います。運動を続ければ免疫力、体力、持久力がついてコロナ対策にもなりますよ。でも、やり方を間違えると、かえって免疫力が落ちたりする。たとえば、健康のためには1万歩も歩かなくていいし、激しい運動もする必要はないんです。きっちり歩いたら3000歩、“ドラゴンツイストバー”を使った運動もテレビ見ながらとか軽くやったんでじゅうぶん。僕の“モールウォーキング”に10年来られている最高齢の人は、95歳で健康を維持していますよ。25キロ痩せた女性もいます。僕自身も、体重はこの20年ほとんど変わっていません。継続が大事なんですよ。

□デューク更家(でゅーく・さらいえ)1954年4月10日、和歌山県新宮市生まれ。本名:更家拓也。78年、大阪経済大学経営学部卒。大学時代にモデル兼実業家になり、その後、ファッションショーのプロデュースや演出を手がけるように。37歳のとき、オリジナルのウォーキング法“デュークズウォーキング”開発。2003年、ダイエット本「1mウォーキング・ダイエット」(講談社)がミリオンセラーとなり、翌04年にはドキュメンタリー番組「情熱大陸」(TBS系)で取り上げられブレークした。

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