【オヤジの仕事】朝ドラ「おちょやん」語りの桂吉弥が語る「おちょやん」裏話と養護学校教員の父の話

顔は母親似、声は父親似だそうだ【写真:桂伸也】
顔は母親似、声は父親似だそうだ【写真:桂伸也】

教師の両親から「勉強せえ」と言われたことはない

 オヤジからは「勉強せえ」と言われたことも、怒られた記憶もありません。いつもニコニコッとして、すっごい優しい人でした。オカンや僕、3歳下の弟、7歳下の妹の家族5人でキャンプに行ったり、大きなワゴン車を運転して淡路島へ連れて行ったり、スキー、お芝居、コンサートにも連れて行ってくれました。落語はなかったけど、いろんな経験をさせてくれました。

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 そんな楽しい、大らかな家庭環境で育ち、住んでたのも新興住宅地やったから、周りも似たような家庭の人が多かったんです。大学に行ってから飲み屋さんとかでアルバイトして、いろんな家庭があることを知っていきましたけど、それでもテルヲのような父親はいませんでしたよね(笑)。

落語家への道は大反対された

 大学は浪人してオヤジと同じ神戸大学教育学部に入り、留年して先生の免許も取りましたから、将来は学校の先生になるもんや、と両親は思っていたでしょう。ところが、最終学年の春にいきなり「落語家になる」「桂吉朝さんに入門したい」と言い出したんで、両親は「は???」ですよ。むちゃくちゃ反対されました。大学の落語研究会で部長やってましたけど、まさか、です。

 ただ、僕は師匠にホレ込んで「この人は弟子にとってくれる」「絶対、プロの噺家になる」って思い込んでいたんで、反対されてもあまり気にしてなかったと思います。初任給が……なんて考えてません。「カバン持ちしながらでも、吉朝さんのそばにおれたらええ」という一心でした。

 それに、両親が反対でも、親戚は応援してくれたんです。オヤジは6人きょうだいの末っ子で、オヤジのきょうだいは東大や京大を出てカタイ職業に就いている人が多いんですけど、「1人くらい変わったんがいててもオモロイんちゃうか」と。最初は反対した一部の親戚も、僕が吉朝の師匠の米朝師匠宅で内弟子修行すると知ったら、「それはすごい!! やりなさい!」に変わりました(笑)。

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