台湾から福島・会津の子どもへ福袋―東日本大震災10年 文学とテレサ・テンがつないだ友情【#あれから私は】

福島県三島町でキャンペーンを行った当時のテレサ・テン【写真:(C)三島町役場】
福島県三島町でキャンペーンを行った当時のテレサ・テン【写真:(C)三島町役場】

会津出身の小説家とアジアの歌姫テレサ・テンが大きな役割

 実は台湾の人々を今回の福袋プロジェクトへと動かした歴史上の人物がいる。会津出身の小説家・装幀家の故・西川満だ。日本統治時代の台湾に3歳(2歳という説もある)で渡った西川はその後、台湾独自の文学を求めて文芸運動の先頭に立ち300冊以上の文芸書を手がけた。本の設計については古布や紙材にこだわり、ひたすら「美麗本」を創り続けた。30年にわたって台湾で暮らし台湾との交流に身を捧げた西川は台湾の文芸、工芸、美術各界にいまだに大きな影響を与え続けているという。ちなみに西川満の長男は、早稲田大学名誉教授の故・西川潤(1936~2018年)。

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 台湾と日本、両方にルーツを持つ池田さんは「“西川満”という人物の業績は台湾の歴史に刻み込まれている。しかし残念なことに西川満の出身地である会津の人々の間では彼の名前と業績はそれほど知られていないのが実情。台湾と会津を結ぶ今回の福袋プロジェクトは、西川満を会津の子どもたちに紹介したいという気持ちも込められています」と語る。

 会津と台湾を結ぶもう1人の重要人物が“アジアの歌姫”と呼ばれた台湾出身の歌手テレサ・テンだ。福島県三島町観光協会の公式サイトによると、テレサは1977年3月に8枚目のシングル「ふるさとはどこですか」のキャンペーンのため、「ふるさと運動」を74年から開始していた同町を訪問。町民たちは駆け出しの外国人歌手を温かくもてなし、その後もテレサは奥会津の同町を“日本のふるさと”として親しんだという。コロナ禍以前はテレサの足跡をたずねてはるばるやってくる台湾人観光客の姿も見られた。

東京・虎ノ門の台湾文化センターで「福袋」のパッケージ作業が行われた【写真:(C)カク・ユウシ氏】
東京・虎ノ門の台湾文化センターで「福袋」のパッケージ作業が行われた【写真:(C)カク・ユウシ氏】

台湾と会津は深い縁、未来につながる“種まき”に

 池田さんは「会津と台湾は、文学、工芸、観光、音楽など二重三重四重の縁がある。私自身も会津とは深い関係があります」と告白する。沖縄で生まれ5歳で福岡、9歳で台湾に渡り、20歳のときに日本に戻った。以降、義父の出身地である会津と居住地を頻繁に往来するようになる。大阪大学を卒業後、27歳で東京に転居。コロナ前はほぼ毎月台湾へ出張に出かけていた。その過程で今回の福袋プロジェクトの“つなぎ人”を務めることになった。2011年3月11日の大震災発生時について聞くと「福島の映画館にいて逃げる時に鋭利な角材が左太ももに刺さってあやうく破傷風になるところでした」と被災体験を振り返った。

 10日に西会津町で福袋の贈呈式が行われ、校長や生徒会長らが出席予定。池田さんは「震災による風評被害とコロナ禍というダブルパンチを受けている会津の子どもたちが『海外からこんな“福袋”をもらったよ』って喜んでもらえたら何よりですし、中学3年生にとってはこれが卒業の思い出となり、『台湾の人々は会津のことを忘れていないよ』というメッセージになればうれしい。単にプレゼントを贈るだけではなく子どもたちの未来の先に向けて台湾と会津の友情が続く“種まき”になればいいな、と思っています」。

 福袋の中には「会津に生きる君へ」と題した「台湾文芸界有志一同」からの日本語メッセ―ジカードと西川満が自ら手がけた自伝の一節が書かれたポストカードがそれぞれ封入されている。

※台湾→会津 福袋プロジェクト参加有志一同(50音順)
嘉義市立美術館、国立故宮博物院、国立台北教育大学北師美術館、国立台湾工芸研究発展センター、国立台湾大学芸術史研究所、国立台南芸術大学台湾芸術ファイルセンター、国立台湾文学館、国立台湾美術館アートバンク、私立元智大学アーツ&デザイン科(山海ワークショップ)、社団法人台北市野鳥学会、台北市立美術館、台北駐日経済文化代表処台湾文化センター、台北木偶劇団、高雄市立美術館、中央研究院歴史語言研究所歴史文物陳列館、中華民国インダストリアルデザイナー協会(CIDA)、台湾コンテンポラリー・カルチャー・ラボ(C-LAB)、台湾戯曲センター、鳳甲美術館、Lightbox撮影図書室

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