急逝した「おたく評論家」宅八郎さんの実弟が明かす兄の知られざる素の姿、晩年の様子

よく一緒に釣りを楽しんだ

 兄が上京してからはそれほど交流していなくて、僕が30歳を過ぎた頃から、ちょくちょく会うようになっていたんです。兄のライブを見に行ったりもしましたよ。ネットを検索すると、野性的でカッコイイ姿の写真が出てきますけど、あれは雑誌の企画ですよ。普段のライブの時は、“いつもよりちょっとおしゃれした姿”で出てはいましたけど。兄と接しているうち、僕は兄の影響を受けたからなのか、兄弟だからなのか分かりませんけど、モノの考え方とか人との接し方、しゃべり方が兄に似ていると思いますね。

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 兄は毎年、浜松の実家に帰ってきていたので、浜松で暮らす僕は一緒に魚釣りに行ったり、地元で有名なハンバーグ屋さんやラーメン屋さんに行ったりするのが、お決まりのコースになっていました。初めてアジ釣りをしたときは面白いように釣れちゃって、僕が「もうそろそろ帰ろうよ」と促すのに、兄が「まだ釣れるよ」と言って帰ろうとせず、結局、夕方から翌日の早朝まで13時間も釣っていました。凝り出すと、本当にトコトンなんですよね。

最晩年の宅八郎さんは…

 ここ数年、兄がどうやって生計を立てていたのか、詳しくは聞いていません。“宅八郎”の名前を出さずにライターの仕事をしていたのではないかと思います。モノを書くことにとてもこだわっていたので。でも、「最近の世の中は、ネットで何でも情報が得られるから、お金を払って文章を読んでくれる人が減った。商売あがったり、だよ」とこぼしていました。

 体調は特に悪かったわけではなかったと思います。5月に小脳出血で入院したとき、医者から肥満を指摘され、塩分を摂りすぎないように、と言われたと聞いていますが、それぐらいで。57歳で亡くなるなんて、あまりにも早い。自分のやりたいことしかやらず、お騒がせもありましたけど、もっと長生きしていれば、何か成し遂げることができる人だったんじゃないかと思いますね。

次のページへ (3/3) 【画像】浜松の実家や弟・雄康さんと釣りをした時の素顔の宅八郎さん
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