羽生結弦が“昔の自分”と共演 「気持ちの中にずっと幼い頃の自分がいる」新CMに心境

「全力でやりきる」気持ちは昔から変わらない
「全力でやりきる」気持ちは昔から変わらない

撮影後インタビュー

■羽生結弦選手 撮影後インタビュー

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――今回のCMタイトルは「母ごころ」篇です。羽生選手が子供の頃、お母さんとのどんな思い出がありますか?
「食べるのがすごく遅かったんですよ。あと、いっぱい(量)は食べられなくて。食べなさいってよく言われてた記憶があります(笑)。『これもちゃんと食べなさいね』という感じで、お世話してもらった記憶が強いですね」

――CMでは、子供たちの楽しげな様子も映されています。羽生選手は、スケート教室で子供たちが滑っている時のどんな姿が一番好きですか?
「やっぱり一生懸命な姿ですね。(スケート教室で)最初はあまり集中できていなくて、(子供たちは)ワチャワチャとはしゃいだりして大変なんですけど、スイッチが入ると一生懸命やるんですよね。その瞬間がカワイイと思いますし、そういう時に背中を押してあげたいなっていう親心みたいなものにもなります。(自分にとっても、子供たちの姿は)原点回帰というか、自分の気持ちの中にずっと幼い頃の自分がいて。自分が昔、一生懸命やっていたのを覚えているので、その子(幼い頃の羽生選手)に対して、自分も真摯に向き合わないとなと思いながら、練習するようにしています」

――振り返ってみると、幼少期と少年期、羽生選手はフィギュアスケートに対してどのように取り組まれていたのでしょうか。
「始めたての頃は、とにかく姉についていこうと練習していました。(始めたのは)4歳だったので、そんなに記憶も定かじゃないんですけれど、とにかく最初は姉に追いつこうと思っていました。その後、だんだん先生が厳しくなって、すごく練習したくなくて(笑)、毎日毎日泣いて、『スケートやめたい』って言っていた記憶があります。(先生が本当に厳しいのは)期待してくださっていたからだと今は分かるんですけど、当時の自分にとっては、『なんでこんなに怒られないといけないんだろう』と思いながら練習していました(笑)」

――青年期では、フィギュアスケートに対してどのように取り組んでいましたか。
「その頃はやっぱり、自分のリンクが無くなったり出来たり、また無くなったりみたいなことを何回か繰り返していたので、練習の大切さを改めて感じていました。練習に対して、真面目に、積極的に取り組むようになっていましたし、日本代表としての気持ちが強くなっていて。日本代表のジュニアの選手として、そしてシニア(クラス)上がりたての選手としての自覚は、芽生えていたかなと思います」

――昔と今で、大会に出場する上で変わらない、自分だけのルールや心がけていることはありますか。
「『勝ちたい』『全力でやりきる』という気持ちの部分とか。そこは、昔から変わらないと思います」

――会場内でのファンの方々からの声援は、子供の頃、どのような心境で受け止めていたのでしょうか。
「幸せで仕方がなかった。練習では怒られますし、辛かったし、『やりたくない!』と思っていたんですけれど(笑)、試合になると、みんなが自分のことだけを見てくれる。そこで応援されるっていうのがすっごく気持ち良くて。だからスケートに惹かれていったんだと思うんですよね。今よりも昔のほうが思っていたかもしれません。『みんな見てくれ!』って思いながら滑っていました」

――オフの時間でリラックスしたい時に何がしたいでしょうか。
「考えてみたら、ゲームと音楽鑑賞しか思い浮かばない(笑)。4歳からスケートをやっていたので、なかなか学校帰りにみんなと遊ぶという環境にいなかったです。また土曜と日曜も朝から練習していたので、外で遊ぶきっかけがありませんでした。家でゲームしたりとか、家族とテレビを観たりという環境しかなく、それが今も心地良く続いているかなって思います!」

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