名門大を除籍→トップ営業マンで天下取って…うつ病で寝たきりに 這い上がった女性経営者の波瀾万丈

壁に当たるたびに力強く這い上がる。シシクリエイションの塚原芳子代表は、そんな波乱の人生を体現してきた。上智大を除籍され、泣きながら帰宅した過去。そのコンプレックスをバネに、ナンバーワンの営業マンに上り詰めた。うつ病で寝たきりになり、離婚を経験してもバイタリティーあふれる生き方は変わらない。映像を通じて社会に変革を起こす女性経営者の横顔に迫った。

シシクリエイションの塚原芳子代表【写真:ENCOUNT編集部】
シシクリエイションの塚原芳子代表【写真:ENCOUNT編集部】

偏差値70合格後に名門大の洗礼「落第生のように単位を落とし…」

 壁に当たるたびに力強く這い上がる。シシクリエイションの塚原芳子代表は、そんな波乱の人生を体現してきた。上智大を除籍され、泣きながら帰宅した過去。そのコンプレックスをバネに、ナンバーワンの営業マンに上り詰めた。うつ病で寝たきりになり、離婚を経験してもバイタリティーあふれる生き方は変わらない。映像を通じて社会に変革を起こす女性経営者の横顔に迫った。

 塚原さんが最初に挫折を味わったのは、大学時代だった。父は慶応大、叔母は上智大を主席で卒業したという学歴エリート一家に生まれ、塚原さんも期待を背負って上智大に入学した。ところが、1年で偏差値を45から70まで伸ばして合格を勝ち取ったものの、待っていたのは、名門大の洗礼だった。

「英文学科ということもあって帰国子女だらけ。受験の偏差値は良かったんですけど、全くしゃべれない。だから、もう急な劣等感に襲われて。落第生のように単位を落とし、落としまくって、下の学年の子たちと授業を受けるのが屈辱的で『やってらんない』と思って、サボりました」

 塚原さんは現実から目をそむけるようにオンラインゲームに熱中。自身のキャラクターは2ちゃんねるに掲示板が立てられるほどカリスマ的人気を博すようになる。一方で、生活は堕落し、大学に通う意味を見いだせずに、留年を重ねた。

 そして、卒業まであと少しという4年生のある日のことだった。

「中退というか、除籍ですよね。学校から『来なくていい』と。四ツ谷の掲示板に、張り紙が貼ってあって、『塚原芳子を除籍にする』と書いてあって」

 何も知らされていなかった塚原さんは衝撃。

「泣きながら、お母さんに四ツ谷の駅で連絡して……。『お母さん、人生が終わっちゃった』とか言って、泣いて帰りましたね。そんなになるとは思わなかったので、さすがに」

 一家にとっても大事件だった。有名大を熱心に勧めてきた父は、亡くなる前、「あんな導き方しちゃってごめんな」と自戒しながら話したという。塚原さんは演劇が好きで、高校時代から文化祭などで活躍。しかし、大学受験では、希望の道よりも、“よい大学”に進むことを暗に求められてきた。

 大学に6年在籍しながら、経歴上は「高卒」になった。だが、これが塚原さんの反骨心を呼び覚ます。正社員として都内の撮影スタジオに就職したが、大企業で働く大学の同期に追いつきたいという気持ちに火がついていた。

「上智を出た友達と自分を比較した時に、自分がいたはずの世界が遠のいていく恐怖みたいなものもありました。要は年収だけでも並びたい、みたいな気持ちになってくるんですよ。コンプレックスがあると」

トップ営業マンとして4年間を走り切った【写真:本人提供】
トップ営業マンとして4年間を走り切った【写真:本人提供】

「どうしても年収1000万円いきたい」 営業力が最大の武器に

 塚原さんは「どうしても私は年収1000万円いきたいんだ」と訴え、フリーペーパーの広告会社に転職。その言葉通り、80人いる営業部で4年間トップの成績を収める。

「毎年、1億2000万円ぐらい売っていました。そこは自分がある意味、才能を開花できた、かつコンプレックスを全て消化できる期間だったと思います」

 30代前半で出産しても、猪突猛進ぶりは変わらなかった。「ここから落ちるのが嫌だった」。面接官に「アウトローのほうがいい」と見初められて大手広告代理店に入社すると、生後8か月で保育園に預けてフルタイムに復帰。ママが働きやすい環境を整える一方で、管理職に昇進し、仕事にまい進した。「生んだのに会えるのが2時間」。保育園で入浴も済ませてもらい、お迎えは午後9時になることもあった。

「私の中で、子どもが第一であることは変わりません。一方で、母親である自分が野心を持って働き、社会に向き合う姿を見せること自体が、私なりの子育てなのではないかと考えています」

 抜群の営業力を生かし、仕事は順調だった。ところが、コロナ禍で再び試練に立たされる。塚原さんは、大打撃を受けていたお出かけサイトの立て直しのため、新規事業の立案を担ったが、複数の案件を抱えていっぱいいっぱいになる。

「メンタルを崩して、半年寝たきりになっちゃった時期があったんです。コロナで生き残らなきゃいけないと思って、アドレナリンを出して次々事業立ち上げたんです。でも、抱えすぎちゃって、パンクしてしまい、終わった瞬間にパソコンの文字が読めなくなっちゃって……。涙が出てくるとか、体の機能にすごい障害が起きちゃって」

 病院で診察を受けると、うつ病と診断。子育てもままらない状態になる。「子どもと遊ぶことも癒やしにならならいというか、そのぐらいつらかった」。家族や多くの仲間に支えながら、苦しい時期を切り抜けた。

 雌伏の時を過ごした塚原さんは、体調が戻った後、組織コンサルティング会社を経て、2024年、自らの会社を興す。映像制作によって企業の採用を支援するのが主な事業だ。

 動画に着目したのは、これまでの経験からだった。前職では採用コンサルタントとして、年間50社以上の人事・採用課題の解決に伴走した。その中で、ストーリーがある会社とない会社では、採用力や伝わり方に大きな差があることを実感した。そして躍動感あるリアルを映すドキュメンタリー映像が、採用やブランディングに有用だと考えるようになり、起業につながった。

 仕事は、依頼主を取材することから始まる。スタッフは塚原さんとディレクターの2人だ。完成した映像にはこだわりがある。「PVのような映像ではなくドラマがないと見られない」との信念から、ドキュメンタリーとドラマの中間のような作風が特徴だ。動画は10分程度の長さにまとめ、エンドロールの前には、識者やジャーナリストによる解説も加えている。クオリティーの高さが評判を呼び、今では大手企業から自治体までさまざまな案件を受けている。

台風で全壊した八丈島の工場【写真:本人提供】
台風で全壊した八丈島の工場【写真:本人提供】

日本に埋もれる「志士」を掘り起こす 夢は映像の教材化

 さらに、同社の強みはドキュメンタリー映像そのものも作成している点だ。昨年10月、八丈島を台風22号が襲うと、物資を持って現地に急行。被害の実態を撮影し、3回の動画にまとめて配信した。「高市政権の発足のタイミングだったので、報道も出てなくて。経済的なダメージがもう絶望的だったので、これは撮らないといけないなと思って撮りました」。貴重な記録は、東京都の観光財団の目に留まり、都庁展望台で上映されるなど、広く認知されることとなった。

 社名の「シシ」は志士を意味する。志がありながらも埋もれている企業や働く人々、優れた技術を掘り起こし、光を照らす。

「志があって不屈の精神でやっている産業とか、あるいは静脈産業と呼ばれる日本を支えている名もなき志みたいなものが浮き上がってこないといけない。私自身、学歴や偏差値だけで進路を選び、大きく挫折した経験があります。だからこそ、次世代には偏差値や知名度だけでは見えない、就職の選択肢を届けたい」

 今後の目標は映像の教材化、そして海外配信を掲げる。

「ストックとしてたまっていくことで日本の製造業シリーズ、地域・地方創生シリーズ、福祉の課題解決、高齢化社会のシリーズとか広げていきたいですね」

 塚原さんの語りは尽きることがない。持ち前のあふれるバイタリティーで、今日も現場に向かっている。

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