早朝からチア姿でサラリーマン応援 「全日本応援協会」とは一体…代表は“女版・松岡修造”

新宿や新橋などの駅前で通勤中のサラリーマンを応援するチアガール姿の集団「全日本女子チア部☆AJO」。謎めいた集団の正体は何なのか。創部11周年、フリーアナウンサーとして活動しながら一般社団法人・全日本応援協会の代表理事を務める「クミッチェル」こと朝妻久実さんの素顔に迫った。

「クミッチェル」こと朝妻久実さんの素顔に迫る【写真:ENCOUNT編集部】
「クミッチェル」こと朝妻久実さんの素顔に迫る【写真:ENCOUNT編集部】

チアリーダーからアナウンサーへ、華やかさの中で忘れていた謙虚さ

 新宿や新橋などの駅前で通勤中のサラリーマンを応援するチアガール姿の集団「全日本女子チア部☆AJO」。謎めいた集団の正体は何なのか。創部11周年、フリーアナウンサーとして活動しながら一般社団法人・全日本応援協会の代表理事を務める「クミッチェル」こと朝妻久実さんの素顔に迫った。

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 朝妻さんがチアリーディングと出会ったのは大学生の時。新入生歓迎イベントで行われたパフォーマンスに心を奪われた。その場で入部、2年の時には学園祭のMCにも抜擢され、そこでスポットライトを浴びる高揚感を知ったという。

「MCを担当したことでコール&レスポンスの楽しさを知って、お客さんとの一体感に感動した。自分がやりたいことは何だろうと考えた時に、『そうだ、アナウンサーだ!』と」

 就職活動では全国のアナウンサー募集に片っ端から応募。ところが、70社近くを受けるも内定は0だった。卒業後はアナウンススクールで下積みし、社会人3年目にようやく山陰中央テレビに1年間の契約アナウンサーとして入社。今でこそ感謝の思いを口にするが、当時、夢に見たアナウンサーの世界は「苦難の日々だった」という。

「本当の意味でアナウンサーの仕事を理解してなかった。事務作業、裏方仕事ではミスばかり。私はアナウンサーがやりたいのに、なんでこんなことをしなきゃいけないんだろうと。途中からは四面楚歌のような状態でした」

 自ら「タレント気分でいた」という心を入れ替え、最終的には円満に送り出される形で退社。“元局アナ”の肩書を手に入れ、満を持して東京に戻るも、ここで3度目の挫折に直面する。

「やっぱり、落ちて落ちて落ちまくって。肩書があってもダメなんだと自暴自棄になっていたとき、喝を入れてくれた友達から『本当にやりたいことは何なの!?』と問われて、『チアがやりたい』と口から自然に言葉が出ていた」

次のページへ (2/3) 衝撃的だった“初代部長”齊藤彩さんとの出会い
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