【オヤジの仕事】あやまん監督の父は不動産業「ジェットコースターに乗せたことは…」

群馬一黒かったコギャル時代【写真提供:あやまんJAPAN株式会社】
群馬一黒かったコギャル時代【写真提供:あやまんJAPAN株式会社】

両親の離婚をきっかけに反抗期に。再会した父は丸くなっていた

 高校生のときに反抗期がきました。実は、私の両親は私が高1のときに離婚していて、私と5歳下の妹はその後、母と暮らすようになりました。たぶん、反抗期になったのはそれが原因。当時はコギャルブームで、私はそのさきがけでした。髪の毛真っ白、群馬一黒いコギャルだったんですよ(笑)。

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 遅刻や早退を繰り返し、勉強をしなくなって成績は下がり、しょっちゅう母が学校から呼び出されていました。

 よくイタズラもしていて、先生は私のことは「普通じゃない」と(笑)。でも、私のイタズラなんてかわいいもので、屋上で花火をあげたり、ホットプレートを持ち込んでお好み焼きを作って食べたりした程度ですよ。ワルではなくて、当時から楽しいことが好きだったみたいです。

 父とは何年も会っていなかったので、そんな私の姿は知らないと思います。高校を卒業し、アルバイトをしていた20代前半、何かのきっかけで再会しました。あやまんJAPANの活動を始める前です。再会した父はすっかり丸くなっていて驚きました。

 最近は「年をとったんだな」という感じが強くなりましたね。親孝行をしてあげたくて、2、3年前には父の誕生日に妹と2人で温泉旅行に連れて行ってあげました。去年は妹に子どもができたので、赤ちゃんを連れて妹と4人で会いました。孫を嬉しそうに抱いてる姿は、あの怖かった父からは想像できませんでした。

父をジェットコースターに乗せたことはない【写真提供:あやまんJAPAN株式会社】
父をジェットコースターに乗せたことはない【写真提供:あやまんJAPAN株式会社】

 あやまんJAPANの活動はもちろん知っています。でも、それについて話したことはありません。娘としてはあのパフォーマンスは、父親には見せにくいじゃないですか。さすがに、父をジェットコースターには乗せられませんし(笑)。

 昔の父だったら「はしたないことするんじゃない!!」って怒ってたでしょうけど、今となっては、私の活動を喜んでくれているみたい。私の出演番組を全部、録画してDVDに焼いたり、舞台を観に来たうえチラシをとっておいたりしています。以前、ブログをやっていたときは「元気そうですね」とペンネームで書き込んだりもしてくれました。

 もっと恩返ししたいのに、最近は「おいしいものを食べに行こうよ」「案内してあげるから東京に来ない?」と誘っても、「そうだな」と言うばかりで少し寂しいです。

「変顔のほうが楽なんです」【写真:山口比佐夫】
「変顔のほうが楽なんです」【写真:山口比佐夫】

□あやまん監督(あやまんかんとく)1979年5月26日、群馬県前橋市生まれ。高校卒業後、地元でイベントコンパニオンをしながら、東京へ飲みに通うようになり、飲み仲間と”あやまんJAPAN”結成。巷で話題になり、2010年1月、バラエティ「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ)でテレビ初出演しブレイク。14年、「あやまんJAPAN株式会社」を設立し”あやまんJAPAN”の活動を継続するほか、個人でタレント業も行う。

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