最愛の祖父が残したお宝クラウンが復活 孫娘に届いた誹謗中傷、「クラファン使うな」跳ねのけた逆風

亡き祖父が残した愛車とその修復に取り組んだ孫娘のエピソードがネット上で話題になっている。思い出が詰まった車は、自動車ファンも一目を置く「おじいちゃんの宝物」。投稿したりかさん(@rika_mayu_ai)さんに詳しい話を聞いた。

祖父が乗り続けたのはワンオーナーの貴重な車だ【写真提供:りかさん】
祖父が乗り続けたのはワンオーナーの貴重な車だ【写真提供:りかさん】

TikTokに投稿→「売らないでほしい」の声が殺到

 亡き祖父が残した愛車とその修復に取り組んだ孫娘のエピソードがネット上で話題になっている。思い出が詰まった車は、自動車ファンも一目を置く「おじいちゃんの宝物」。投稿したりかさん(@rika_mayu_ai)さんに詳しい話を聞いた。

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「おじいちゃんの為に、車を修理した。
おじいちゃんの為に、車でお出かけをした。

でも大好きなおじいちゃんが亡くなって、心にぽっかり穴が空いています。。
私自身が車好きというわけではないから、これから何を原動力にしてどんな投稿をしたらいいのか不明で悩んでいます。。」

 1日、りかさんがXに投稿すると、3000超のいいねが集まる反響に。添えられた生前の祖父と愛車の2ショットを見た人からは、「お祖父様も車もめちゃカッコいいですね」「広島ではなく広。希望ナンバーもない時代、ゾロ目はさらにすごい」「その車の、特にナンバーはおじいさんが大事にした証です」「このクラウンを所持していることはもちろん、大好きなおじいさまの為に走らせてください」などの声が寄せられた。

 祖父の愛車は1967年式トヨペット マスターライン ダブルピック。クラウンをベースにしており、「クラウンマスターライン」と呼んでいる。

 初年度登録からワンオーナーで乗り続け、祖父が乗れなくなってからは、車庫に眠っていた1台だった。

「この車は私にとって、おじいちゃんとの架け橋です。おじいちゃんちは同じ県内でも遠いのでたまに会いに行く程度でした。おじいちゃんの認知症が進む前に、先におばあちゃんが重度の認知症になり、どんどん変わり果てていく姿を見るのがつらくて会いに行くのも減り、おばあちゃんは亡くなりました。人の死に直面したのはこの時が初めてで、何もしてあげれなかったことにものすごく後悔しました。おじいちゃんの認知症が進行して、もう後悔はしたくない、おじいちゃんのために何かしたいと思ったときに、この車がおじいちゃんを笑顔にしてくれると気づきました。家族の名前すら忘れていたおじいちゃんは、車に乗ると思い出してくれて、ハキハキと元気な様子も見えたんです。ドライブしたり思い出を作ることができました」

りかさんにとって最愛の祖父だった【写真提供:りかさん】
りかさんにとって最愛の祖父だった【写真提供:りかさん】

クラファンに賛否 「老人が運転して事故起こすだけ」

 車が再び動き出すまでは、紆余曲折もあった。旧車の知識もなかったりかさんは、クラウンを手放す覚悟でTikTokに動画を投稿した。すると、自動車ファンから「売らないでほしい」の声が殺到。ところが、後押しを受けてクラウドファンディングを実施すると、今度はひぼう中傷が届くようになる。

「『車はみんな自分で直して自分で維持してる、クラファンを使うな』とか『老人が運転して事故起こすだけ』『さっさと死ね』というのもありました」

 認知症を患っていた祖父はすでに免許を返納し、運転から遠ざかっていた。ただ、そうした状況は理解してもらえなかったという。

 猛烈な逆風にさらされたが、りかさんは心を痛めながらも車の維持を決めた。

「応援コメントがそれ以上に多かったので突き進みました。『車が走るところがただ見たいんです。応援させて下さい』というのがクラファンしてくださった方の声でした」

 目標の100万円を集め、修理代や板金塗装代などにあてた。多くの人々に支えられて復活した祖父の愛車に、りかさんの心も動いた。
 
 オートマ限定免許だったりかさんは妊娠中の身で自動車学校に通い、マニュアル免許を取得。クラウンの新オーナーとして、親子3代、愛車を受け継ぐ意思を固めた。

生前は電気屋を営み、皆に愛されていた【写真提供:りかさん】
生前は電気屋を営み、皆に愛されていた【写真提供:りかさん】

祖父と歩んだ56年の歴史 「私も大切にできたらな」

 りかさんにとって、祖父はいつまでも変わらない人生の目標だ。

「私にとっておじいちゃんは、『こうなりたいな』と思わせてくれる存在です。おじいちゃんは田舎で街の電気屋さんをしていました。そこではおじいちゃんを頼りに通ってくれるお客様や、すぐに修理にかけつけて感謝されるおじいちゃんの姿をよく見ていました。いつもニコニコで優しいおじいちゃん、認知症になってもそれは変わりませんでした。母から聞いた話ですが、母が小さいころ、ピアニストを目指していたとき、周りから絶対無理だからやめなさいと反対されるなか、唯一応援してくれたのがおじいちゃんだったそうです。母はピアニストの夢をかなえました。私も、人に優しく人のために動き、無謀なことでも挑戦する心や応援する心を持つ人になりたいです」と誓いを立てている。

 愛車とどう歩んでいくかは、まだ決まっていない。

「今後の車の予定ですが、私にもはっきり分かりません。Xにも書いたように、日々悩んでいます。でももしできるのなら、イベント等で応援してくれる方に会えたらなと思います。『車を見てみたい』とたくさん声をいただきます。おじいちゃんが56年間大切にしてきた車を、私も大切にできたらなと思います」

 喜ぶ祖父の顔を思い浮かべ、りかさんは愛車のハンドルを握っていく。

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