【週末は女子プロレス♯103】17歳長女は現役アイドル、プロレスラーフワちゃん誕生にも貢献した全女OG・中西百重は4児のママ

女子プロレスが20年ぶりに帰還を果たした横浜アリーナでのビッグマッチ。スターダム4・23横浜の横浜ランブル(時間差バトルロイヤル)で、正体不明のマシン軍団を含む18人の現役選手に交じって奮闘していたのが、OGの中西百重だ。

横浜アリーナでの一戦にも出場した中西百重が半生について語る【写真:新井宏】
横浜アリーナでの一戦にも出場した中西百重が半生について語る【写真:新井宏】

横浜ランブルでは18人の現役選手に混じって奮闘

 女子プロレスが20年ぶりに帰還を果たした横浜アリーナでのビッグマッチ。スターダム4・23横浜の横浜ランブル(時間差バトルロイヤル)で、正体不明のマシン軍団を含む18人の現役選手に交じって奮闘していたのが、OGの中西百重だ。

 中西は2003年5月11日、全日本女子プロレスの横浜アリーナでメインを張った当時のトップ選手。あれから20年がたち現在42歳、4児の母親でもある。しかも17歳の長女はアイドルグループ、「キミと永遠(とわ)に」の睦月まるとして活動中。中西は現役時代、つんくプロデュースの「キッスの世界」でCDデビューしており、こちらのジャンルでも娘の“先輩”となっているわけだ。こんなところにも時の移り変わりを感じさせるが、ひとたびリングに上がれば現役時代を思い出させる華麗な動きを披露、見る者の度肝を抜いた。彼女にとって、プロレスとは一瞬で当時に戻れるタイムマシンのようなものではなかろうか。

「リングに立つと年齢や母親というのも忘れて昔の自分に戻っちゃうんですよね。当時を知る人も、当時の姿を見たいんだと思います。不思議なことに私も当時の年齢に戻ることができるし、プロレスって私にとって永遠の青春なんだなって」

 そう言って笑う中西の青春が始まったのが、中学2年生のときだ。父親が見ていたレンタルビデオで初めて女子プロレスを知った。それは全女とLLPWの団体対抗戦。堀田祐美子と神取忍が団体の威信をかけて激突する姿を見て、「こういうスポーツもあるんだ」と感銘を受けた。そのとき、自分の“進路”に選んだのが、プロレスだったのだ。

「ふつうに高校に行って勉強するのがイヤだったんですよ(笑)。子どもが好きなので保母さんも考えはしたんですけど、なるための勉強をしたくなかった(笑)。それで自分の進路はこれだ!となって、プロレスラーになろうと思いました」

 大阪在住の彼女は、“イス大王”栗栖正伸の栗栖正伸トレーニングジムに入門。学校での授業から器械体操部の練習に参加、そこからバスと電車を乗り継ぎジムでトレーニングという毎日がつづいた。狙いは全女一本。オーディションに応募し母に連れられて上京、入門テストを受けた。

「身長160センチ以上じゃないとダメだったのに157しかない。でもとりあえず160と書いて応募しました。身長は足りなかったけど、そのときは体重が67、68キロあったんですよ。トレーニングしててゴツゴツで、制服の上からよく男子に太もも触られたりとかしてました。『オマエの筋肉すげえなあ』って言われたりとか(笑)」

 確かに身長は足りなかったものの、センスを買われたか見事合格。当時の全女は厳しいことでも知られていたが、そこはある程度の免疫ができていたという。

「栗栖さんから『全女は厳しいぞ』とさんざん聞かされていたんですよね。しかも私、四人姉妹の三番目で、長女がメッチャ怖いんです。すごく厳しくてメッチャ怒るんですよね。それで想像に想像を膨らませて入門したので、とりあえず大丈夫でした(笑)。ただ、プロテストに合格してから急に厳しくなりましたね。合格して『やった!』と喜んでたら、ただっち(当時の全女広報のニックネーム)が『喜んでられるのもいまだけだよ』ってささやくんです(笑)」

 無我夢中で迎えたデビュー戦。同期・高橋奈苗(現・奈七永)とのシングルマッチは栗栖ジムvsアニマル浜口道場の図式にもなり大いに白熱、時間切れで引き分けた。この試合はわずか4日前に本人に伝えられ、試合当日も彼女たちは会場入口でいつものようにビラ配り。試合直前に先輩が慌てて呼びに来て間に合ったくらいバタバタだった。さらに、入場テーマ曲がかかったタイミングで井上京子から「アンタ、モンゴリアンチョップやってみなよ。できるでしょ?」と声をかけられた。とはいえ、試合のどこで出していいかわからない。すると、セコンドの椎名由香がリング下から指示してくれた。

「椎名さんが、『いまやんな!』って。それで出したらどっと沸いたんです(笑)」

 デビュー当初はパワーファイターを目指していた中西。京子からも「体重が70キロになったら妹にしてやるよ」と言われていた。中西もそのつもりでいたのだが、なかなか体重は増えなかった。そうこうしていくうちに奈苗の方が「冷蔵庫」と呼ばれるほど大きくなっていく。

「最初はそんなに変わらなかったのに、奈苗の方がパワーファイターになっちゃったんですよ。飛んだり跳ねたりするスタイルの方が合ってると気づいたのは、デビューから3,4年たってからですかね。そういった技を先輩から勧められてやってみると、すぐにできてしまうんです。それでこっちの方が向いてるのかなって」

「リングに立つと昔の自分に戻っちゃう」と笑顔を見せた【写真:スターダム提供】
「リングに立つと昔の自分に戻っちゃう」と笑顔を見せた【写真:スターダム提供】

フワちゃんを指導「教えるのも楽しいなって思いましたね」

 チャパリータASARIを継ぐ軽量級の第一人者となった中西。そんな彼女にCDデビューの話が持ちかかる。全女にいる限り、リングでうたって踊るも活動の一環。彼女自身もかねてから「やりたい」との意思は示していた。ところが、実際にきたオファーはこれまでのパターンとはかなり様子が違っていた。なんと、モーニング娘。などで大ヒットを連発する“つんくプロデュース”でのデビューである。中西、奈苗、納見佳容、脇澤美穂で結成されたグループは「キッスの世界」。当時はフジテレビでの地上波放送もあり、「キッスの世界」は同世代のファンを会場に呼び込む起爆剤にもなったのだ。

「もともとそっちの方もやってみたかったからうれしかったですね。ただ、実際の衣装がミニスカートで、かっこいい系がやりたかったんだけどなって(苦笑)。それに、つんくさんの名前もあるから下手なことできないというプレッシャーも大きかったです。同時に、試合をおろそかにできないプレッシャーもありました。大変でしたけど、それでもやっぱりやってよかったですよね。一皮むけたじゃないけど、そこからプロレスラーとしてやっと楽しくなったのかなと思います。というのも、若いファンがけっこうついてくれるようになったんですよ。年齢が近い子から応援されるとすごくやりがいを感じるし、すごくやる気が出るんです」

 芸能の仕事も増えた中西は、プロレス格闘技専門チャンネル「サムライTV」のキャスターも務めるようになる。ここで共演したのが、元格闘家で現在はスターダムのテレビ解説などを担当する大江慎だ。中西と大江はスネークピットジャパンで初対面、『生でGON!GON!』という情報番組でMCをつとめ、中西が番組を卒業後、ふとしたきっかけで連絡を取り合うようになったという。

「番組に出てたときは仕事だけだったんですけど、だいぶたってから連絡するようになって、あけましておめでとうみたいなメールをかわすうちに、ご飯行こうという話になったんです。ファミレスで私が紙ナプキンにウェディングドレスはこういうのがいいなって絵を描いて、自然と結婚という流れになっていきました。結婚式には誰を呼ぼうとか。なので、どちらからもプロポーズはしていないんですよ(笑)」

 2人は2005年1月23日に入籍。話は前後するが、中西引退興行の16日後だった。この年の1月7日、後楽園ホールにおける自主興行で中西は引退した。実働期間は8年半で10年にも満たない。WWWA世界シングル王座をはじめ数々のタイトルを獲得したトップレスラーとしては、短い活動期間だろう。

「身体がガタガタだったんですよね。当時の全女もガタガタで治療費も払えないと(笑)。だったら自分の身は自分で守ろうということでフリーになりました。フリーで試合数を調整していったんです」

 結婚も契機となり、中西はリングを下りた。その後、一男三女を出産し、母親として大忙し。その傍ら、特別参戦を要請されることも稀にある。サービス精神旺盛な彼女は子どもたちの学校行事と重ならない限り要請に応じているという。

 引退後、リングに上がった数は6回。11年3月のアイスリボンで6年ぶりの実戦を果たし、第4子出産後の14年5月のパッションレッドで引退の夏樹☆たいようを見送った。20年3月と翌年3月にはスターダムに参戦、同年7月のSEAdLINNNGで高橋奈七永25周年に参加した。そして、今年4・23スターダムの横浜アリーナ。

 リングに上がるたびに当時と変わらぬ動きを見せてくれるだけにさぞかし準備も大変なのかと思いきや、ランニング以外にしっかり練習してきたのは今回だけというから驚きだ。その練習も、テレビの企画でリングに上がったタレントのフワちゃんをコーチしての流れ。スターダムの選手とともに中西もフワちゃんのトレーニングに付き添った。“プロレスラー”フワちゃん誕生に一役買っていたのである。

「教えるのも楽しいなって思いましたね」と中西。プロレスラーを引退して18年になるが、夫の仕事からもプロレスとは一生付き合っていくことになりそうだ。現役時代は決して長い方ではない。が、モモ☆ラッチやナナモモダイバーなど、彼女の得意技はいまでも現在のレスラーに受け継がれている。意味を見いだせれば、今後もOG枠でリングに上がる機会もあるだろう。「ご要望があれば」と言って笑った「ランブルおばさん」(自称)。20年前と変わらぬとびっきりの笑顔が、そこにはあった。

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