武藤敬司の名言「プロレスとはゴールのないマラソン」と記者が思い出す24年前の言葉

プロレスリング・ノアによる武藤敬司引退興行(21日、東京ドーム)から3日がたった。

武藤が最後の最後に選んだ蝶野との一戦を終えた直後の両者の表情【写真:プロレスリング・ノア提供】
武藤が最後の最後に選んだ蝶野との一戦を終えた直後の両者の表情【写真:プロレスリング・ノア提供】

A猪木の世界観からG馬場の世界観へ

 プロレスリング・ノアによる武藤敬司引退興行(21日、東京ドーム)から3日がたった。

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 最前列VIP席はアントニオ猪木VSモハメッド・アリ戦(1976年6月26日、日本武道館)の30万円を超える50万円、観客動員数3万96人、「ABEMA」のPPVは、「ABEMA PPV ONLINE LIVE」におけるプロレス興行での最高券売数を記録。ツイッターでは、「#MutoFinal」が日本トレンドに加え世界トレンド1位にランクインするなど、昨今のコロナ禍を思えば、経済効果を含め、その試みは大成功といっていいだろう。

 実は記者自身がまだ、その余韻に浸っていたい気持ちがないわけではないが、ひと区切りをつける意味でもこの記事を残しておきたいと考えた。

 まず、武藤敬司の道程を考えると、さまざまな見方がありすぎてひとつに絞ることは難しい。それを念頭に置きながら振り返ると、記者にとって武藤は、アントニオ猪木の世界観で生まれ育ちながら、ジャイアント馬場の世界観に鞍替えした男。その印象が強い。その生き方は、もしかしたら御法度なのかもしれないが、それをいとも簡単に生ききったプロレスラー。少なくとも記者にとって武藤はそういう存在に見える。

 そして、武藤の引退と聞くと、かつて自らが口にした「プロレスはゴールのないマラソン(みたいなもの)」を思い出さずにはいられない。

 その武藤がついにゴールを迎えるとなれば、その時、武藤は何を思うのか。

 個人的にそこまで武藤と親しかったわけではないから、記者以上に密度の濃い取材をされた方々を押しのける気は毛頭なかったものの、その節目節目で話を聞く機会だけはそれなりにある距離にいた意識はあった。だから最後に武藤がどんな試合をし、どんな言葉を発するのか。それだけは確認したいと現場に足を運んだ。

 さて、「ゴールのないマラソン」について、試合後の武藤はどうコメントしていたのか。改めてその部分を記載すると以下の通りになる。

「いやあ、やっぱり今年で(デビューから)39年間、途中厳しかったこともあるよ。やっぱりなんていったってケガが絶えなかったし。この1か月もねえ、ホントにハムスト(リング)の肉離れにはホント参っちゃってねえ。幸いにも今日そこまで。あのー、治療とか一生懸命やってたからリハビリとか。思った以上に、自分のなかでも動けてよかったですよ。ま、これは誰しも抱えることだから、ケガとかね。なんかゴールできてよかったです、ホントに。ホントに多くのレスラーがこういうふうに(こんなに盛大な)引退試合ができていないなかで、ホントに俺は幸せなプロレス生活でした、はい」

 武藤が「プロレスはゴールのないマラソン」と口にしたのは1992年1月だそうだが、実は記者も何度か武藤とはこの話をしたことがある。

 例えば、99年8月に取材させてもらった話のなかに、それに関する記述を見つけた。

この日、武藤は内藤戦に続き、蝶野にも敗れた【写真:プロレスリング・ノア提供】
この日、武藤は内藤戦に続き、蝶野にも敗れた【写真:プロレスリング・ノア提供】

おそらく武藤敬司史上、初の1日2連敗

 当時の一問一答をそのまま掲載する。

「自分のゴールはもうそろそろ見えてきたかなあって(笑)。マラソンで言ったらトラックに入ってきたかな、と感じてるよ。ただトラックだと、マラソンは一周しか回らないけど、オレはあと何周まわるかわかんないよ(笑)」

――でもゴールが見えちゃうということは、見る側にとってよくないことじゃないですか。

「だけど完全燃焼できたら、いいんじゃないの? それとさあ、プロレスファンのすごくありがたいところってのは、そういうところまで見てくれるじゃない? こいつこうやって散ってったんだなあってさ。それでその人の心のなかに残ってくれたなら、レスラー冥利につきるよ。プロレスはね、夢を与えてる商売だと思うよ、ホントに」

――ジャイアント馬場さんは「生涯現役」を続けたけど、武藤さんにはそれは無理というか。

「引退はあるでしょう。ただ、いまは、東京ドームの6万人のなかに俺がひとりで入場してさ。12万の目が俺ひとりの動作を見ているわけじゃない、その快感ってのはすごくいいねえ。やっぱり、それは辞めたくないよなあ」

――一回それを知っちゃったら辞めたくないと。

「身体が動けばず~っとやっていたいよ。気持ちいいよ~」

 いまから24年前の言葉になるが、武藤はこの段階ですでに「トラックに入った」、つまり現役生活は決して長くない、という意味合いの言葉を発している。

 結局、武藤はそれ以降、20年以上もの間、いったいトラックを何周していたのか。

 そう考えると、内藤哲也戦に敗れた直後、盟友・蝶野正洋を呼び込んでの一戦こそ、実は最後のトラック一周だった気がしてならない。というのは、蝶野のSTFをかけられてゴングを聞いた時の表情こそ、すべてが終わったという安堵感が伝わってきたからだ。

 しかも映像を見ていくと、リング上では勝敗のゴングが鳴った直後、蝶野による「ありがとう」という小声も確認することができた。

 しかしながら武藤はこの日、「1日に2連敗」という、おそらく現役生活における最初で最後の“失態”をおかしつつ、全くそれを悟られることなく、惜しまれながらリングを去っていったことになる。

 この事実をもってしても、きっとアントニオ猪木の世界観では絶対にあり得ない。かといってジャイアント馬場の世界観ならそれがあり得るのか。そこは馬場の世界観に詳しい方々が夜を徹して論ずればいい。

 ともあれ、実に38年4か月の長きにわたる現役生活を走り切った武藤敬司。武藤自身も触れていたが、同世代の橋本真也や三沢光晴が志半ばでこの世を去ったことも含めて考えれば、あれだけ盛大な「引退試合」にたどり着くことがいかに困難なことか。その点は関係者の努力を含め、本当にすごいことをやってのけたと心から称賛したい。

 また先述通り、そこまで親密な関係にはなく、直接言えるほどの距離感になかったからこそ、改めてこの場を借りて武藤敬司に伝えておきたい。

「武藤さん、お疲れ様でした」。

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