【RIZIN】猪木さんを追悼 大みそか=格闘技の礎築く 高田延彦「日本の格闘技界の源流はあなた」

10月1日に亡くなった“燃える闘魂”アントニオ猪木さんの追悼セレモニーが行われた。

アントニオ猪木さんを追悼した高田延彦【写真:山口比佐夫】
アントニオ猪木さんを追悼した高田延彦【写真:山口比佐夫】

“燃える闘魂”追悼セレモニー

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 10月1日に亡くなった“燃える闘魂”アントニオ猪木さんの追悼セレモニーが行われた。

 場内が暗転し、「炎のファイター」が鳴り響き、猪木VSモハメド・アリ戦などこれまでの歩みが紹介される。

 そして、元付け人のRIZINキャプテン・高田延彦があいさつ。「私が初めて猪木さんを見たのは10歳のとき。ちょうど猪木さんの全盛期が始まった1970年代に入ったころです。その姿を見た瞬間、全身に電流が走り、14歳で猪木さんの弟子になると決心しました」とプロレスラーになった経緯を明かした。

 学校にも行かず、ひたすら神社で特訓。新日本プロレスに入門し、憧れの背中を追い続けた。

 猪木さんは2000年の大みそかに初めて「猪木祭り」を大阪ドームで開催。「打倒紅白歌合戦」を掲げて、格闘技が年末の恒例イベントとなる礎を築いた。PRIDEやK-1なども次々と参入し、歴史を作っていった。03年には地上波3局で放送され、曙VSボブ・サップ戦の視聴率が、一時、紅白歌合戦を上回る盛り上がりを見せた。

「アントニオ猪木がいなければあのPRIDEもこのRIZINという舞台も存在していなかったと断言したら、みなさんはどう感じるでしょう?」と問いかけた高田は、格闘界に残した影響力の大きさを説明。

「つまり、日本の格闘技界の源流は猪木さん! あなたにあるということです」「猪木さん! 見ていてください。ここで戦う若きファイターたちは、おそらく猪木さんの全盛期を知りません。しかし、彼らは猪木さんのともした灯りの元で夢を追いかけている。どうぞ彼らの勇敢な戦いぶりを見守り続けてください」と、天国に向かって叫んだ。

 リングを降りた猪木さんのありし日の姿を思い浮かべ、「満面の笑顔も非常に印象的な人でした」と振り返った。

「あの笑顔でみんなイチコロでした。猪木さん! 本当にありがとうございました。猪木さんの編み出したこの壮大な物語はまだまだ続きます」と結んだ。

次のページへ (2/2) 【写真】会場に向かって深々と一礼した高田延彦
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