ゴミ屋敷、清掃業者が明かした「過去一」壮絶現場 過酷すぎる実態「臭いが服や鼻の粘膜に」

世の中、誰もが嫌がる仕事を引き受けている人たちがいる。ゴミ屋敷や孤独死宅の清掃を行うのは、大阪不用品回収ゼロ代表の永留統道(ながとめ・とうどう)さん。喫茶店のオーナーや民泊経営を経て5年前に事業を始めた。足の踏み場もない、悪臭が漂うゴミの山でなぜ彼は闘うのか。

ドアを開けた瞬間…
ドアを開けた瞬間…

鼻を突く異臭 「服を全部捨てる方もいます」

 世の中、誰もが嫌がる仕事を引き受けている人たちがいる。ゴミ屋敷や孤独死宅の清掃を行うのは、大阪不用品回収ゼロ代表の永留統道(ながとめ・とうどう)さん。喫茶店のオーナーや民泊経営を経て5年前に事業を始めた。足の踏み場もない、悪臭が漂うゴミの山でなぜ彼は闘うのか。(取材・文=水沼一夫)

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 永留さんの会社は、大阪市内で清掃全般に従事している。社員6人にアルバイトが2人の小さな会社だ。

「一番多いのは不用品回収、引っ越し。そのあとにハウスクリーニング、消費者アドバイスですね」

 他社と異なるのは、現場のレベル。ゴミ屋敷や孤独死宅、汚部屋など、誰もが敬遠するような家や部屋の清掃を引き受けている。まず永留さんらが清掃した後、一般のハウスクリーニングが入ることも珍しくなく、文字通り、“最後の砦”のような存在となっている。

 例えば、テレビ番組などで有名なゴミ屋敷。永留さんは、「実際にYouTubeでも片付け動画が上がっていたりするんですけど、ゴミ屋敷の現場はちょっと弱めですね。すごいところは隠しているような気もします」と、語る。

 実際は、映像にするのもはばかれるほど、想像を絶する。

「過去に一番大変だったのは、おしっこをペットボトルに入れる方でした。2トントラックで8トン分はそれやったんですよ。本当にすごかったです」

 おぞましい部屋に出会ったのは今夏だった。間取りは1K。玄関のドアを開けると、空間一面がゴミとペットボトルに覆われていた。

「自分の身長よりゴミの山が積み上がっていても、ちょっと沈んでいるところがある。寝る場所の確保はされていた。荷物の量は10トン。その8割が…。私も衝撃的と言いますか、そこまでの状況だとテレビも放送しない」

 8人で現場に到着し、作業に当たったのは4人だった。それでも、「4日か5日かかった現場です」と、難航を極めた。

「孤独死の現場でも結構あるんですけど、たとえができない臭いがするんです。服や鼻の粘膜にもついてくる。ご飯を食べれないくらいにおいがあります。それでも不思議なことに、1時間くらいいると何とも思わなくなってくる。慣れってすごいなと思います。さすがに家に帰るときは玄関の前で服を脱いで袋に入れますが」

 もちろん、全員が永留さんのようにいくわけではない。汚水対策として薄手のレインコートを着用しても、「服を全部捨てる方もいます。無理な方は靴も捨てています」。さまざまなものを犠牲にしなければ成り立たない。

 このときは不動産屋からの案件だった。「このような状態のときは通常のハウスクリーニングは無理。その後、お話は聞いていないのですが、住む状態までいけるか。壁の奥まで染み込んでいたので」。部屋がどうなったのか、知る由もない。

遺品整理で出てきた100円札
遺品整理で出てきた100円札

大阪ミナミの汚部屋 若い女性「私の家じゃない」

 ゴミ屋敷は住人が亡くなり、片づけようとした遺族が手に負えずに依頼するケースも。そういった場合は遺品整理も担当する。

「大事なものを抜くことなく亡くなっているので、お宝が出てくる。基本的にはご遺族にお返ししますが、いらないから渡しますということもあります」

 そう言って、永留さんが見せたのは大量の100円札だ。オークションでも価値が高いお宝だが、「大変お世話になったのでお受け取りください」と、依頼主から譲渡された。

 部屋の契約者は、高齢者だけとは限らない。

「汚部屋と言われる状態は、若い女性のほうが多い。夜の仕事のストレスでそうなっているのかなと思います」と意外な実情を明かした。

 例えば、大阪屈指の歓楽街ミナミの賃貸マンション。場所柄、クラブやキャバクラなどの水商売で働く女性が多く住んでいる。清掃は当事者の女性が立ち会う中で行われるが、「女性の方は、半分以上の確率で、『私の家じゃない』と言いますね。妹の家とか、弟が住んでたとか言うんですけど、妹の家なのに、『そこに〇〇があるんで』とかすごく詳しい」。

 あろうことか、下着も無造作に転がっているという。「めちゃくちゃ気まずいんですよ。セクハラと疑われる可能性があるので、下着には直接手を触れない。1回目は声をかける。『それもいらないので捨ててください』と言われるのは気まずいです」。もともと、大手引っ越し業者が手に負えないような状態だから永留さんに依頼が来る。どんな現場であろうと、断ることはない。

 それにしても、なぜ、永留さんはこのような過酷な職業を選んだのだろうか。

「初めての仕事は21歳のとき、喫茶店のオーナーでした。そこから民泊をさせてもらいましたが、長く続けられなかった。お金を稼ぎたい、太く長く続けたいと思い、今の仕事に着地しました。“この世からゴミというものはなくならないだろう”という軽い気持ちからでした」

 仕事にはやりがいを感じている。

「めちゃくちゃ楽しいんです。僕は学生時代もそうなんですけど、あんまり人に感謝されるようなこともなかったし、学歴もない人間。こんなに心のこもった『ありがとう』をいただけるんだなというのが正直な理由です。遺品整理、ごみ屋敷関係は、やりたいと思ってやる方がいらっしゃらなくて、求人を出してもなかなか集まらない。依頼される方も理解している。それを本当にきれいにしたときは、最高のありがとうをいただける。泣きながら言ってこられる方もいる。すごいことをやっているんだなと思います。続けられる理由はそれですね」

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