京大大学院→大手商社 それでもなぜ少子化で危機の家業を継いだ? 36歳若社長の決断

少子化が進む中で、国内で出産関連用品を取り扱う企業は苦境に立たされている。危機の連続を乗り越えようと、老舗メーカーの4代目若社長が奮闘している。創業71年を迎えた産科・医療・衛生用品ブランド「アメジスト」で知られる「大衛株式会社」(大阪市)の加藤優社長(36)だ。京大大学院で薬学を学び、大手商社・伊藤忠商事に就職。商社マンとして世界を渡り歩く人生を描いていたが、「自分がやるしかない」と家業を継いだ。赤字体質からのV字回復に貢献。「安心安全なお産を支える」という信念を貫く企業人に迫った。

「安心安全なお産を支える」信念を貫く加藤優社長【写真:大衛株式会社提供】
「安心安全なお産を支える」信念を貫く加藤優社長【写真:大衛株式会社提供】

家業を意識するようになったのは創業者である祖父の葬儀 伊藤忠商事から老舗メーカー4代目社長に

 少子化が進む中で、国内で出産関連用品を取り扱う企業は苦境に立たされている。危機の連続を乗り越えようと、老舗メーカーの4代目若社長が奮闘している。創業71年を迎えた産科・医療・衛生用品ブランド「アメジスト」で知られる「大衛株式会社」(大阪市)の加藤優社長(36)だ。京大大学院で薬学を学び、大手商社・伊藤忠商事に就職。商社マンとして世界を渡り歩く人生を描いていたが、「自分がやるしかない」と家業を継いだ。赤字体質からのV字回復に貢献。「安心安全なお産を支える」という信念を貫く企業人に迫った。(取材・文=吉原知也)

「出生数の減少を受け、売り上げも落ち込んでいます」

 2022年の出生数が初めて「80万人」を割り込む可能性が報じられている中で、加藤社長は、業界の厳しい現実を明かす。

 同社は、お産キットと分娩キットの2つが主力商品で、全体の売り上げの8割が病院への納品、残り2割はベビー用品専門店やドラッグストア、販売サイトだ。大学病院向けの市場シェアで見ると、約40%でトップ。ここではシェアを伸ばしているが、「5年間で赤ちゃんが生まれる数が20%落ちていると言われている中で、産科主力製品の売り上げは20%分が落ちています。業界全体を見ても、厳しい状況です」。さらに、新型コロナウイルス禍、原料高騰化のトリプルパンチに見舞われている。

 1951年に「脱脂綿、ガーゼ、包帯 (いわゆる衛生三品)」の製造・販売からスタートし、生理用品、お産分野、近年は医療用製品の開発を進める同社。加藤社長は2014年に入社し、21年5月に社長就任。難局打開のため、「注力3分野」を掲げている。大事にしている視点は「これまで培ってきた強みを生かす」ことだ。

 まずは、産婦人科向けの製品を長年開発してきたノウハウを活用した「産後のママに必要とされる製品」だ。体系維持を目的とした補正下着のレギンス「キュリーナ」や、睡眠の質向上を目指したマットレス「メディテム」など。これまで一般の販路を持っていなかった同社の弱点を克服しようと、EC(電子商取引)サイトのプロジェクトチームを立ち上げ。ネットサイト向けの専門商品の開発を進めている。

 次に、医療材料分野だ。このほど、大阪大学病院と共同で新製品を開発。手術用スコープのカメラレンズの保温クリーナーだ。カメラレンズを温めて曇りを防止し、汚れを除去するという課題を解消。医療業界のニーズを取り入れた画期的商品として注目を集めている。この分野に力点を置いており、感染防護服など既存製品にも改良を加えることで、さらなる競争力を高めている。

 最後に、海外展開だ。加藤社長が同社に入った後の15年からベトナムに現地法人を設立し、事業展開。患者だけでなく医療従事者を含めた医療現場の感染症対策を重視し、例えば医療施設側に「医療従事者は目からの飛沫(ひまつ)感染を防ぐことが大事」「リネンは使い回さず、使い捨ててリスクを減らす」といったアドバイスとともに製品納入の提案を行っている。今後はベトナムではまだ不足している透析装置の普及にも注力する方針だ。国内需要が厳しい中で、海外需要に活路を見いだす経営戦略がある。それだけでない。「日本の高度な医療を途上国に伝える手助けも拡大していければ」と熱く語る。

 実は、加藤社長は当初は「家業を継ぐ気は一切なかった」という。曽祖父と祖父が設立した同社。3代目の父親からは「後を継げとはひと言も言われなかったです」。京大薬学部から京大大学院薬学研究科で勉学にはげんだ。企業出身の先生に師事し、製薬以外の業界に興味を持った。就職活動では「日本に貢献できる仕事」を第一条件に探し、「日本には高い技術力があるのに、中小企業が国内で食っていけない状況をなくしたい」と、商社の道を選択した。10年に伊藤忠商事に入社した。

 日本有数の商社では、レジ袋やゴミ袋といったプラスチック業界を担当。原料となる樹脂を海外から日本国内の加工メーカーに提供したり、海外進出を目指す日本企業のタイ現地法人創設に奔走した。辞める前の半年間はインド・ムンバイに駐在し、日本企業のインド進出をサポートする業務を担った。

加藤優社長は従業員との円滑なコミュニケーションを重視し、難局を乗り越えようとしている【写真:大衛株式会社提供】
加藤優社長は従業員との円滑なコミュニケーションを重視し、難局を乗り越えようとしている【写真:大衛株式会社提供】

近江商人の精神「三方よし」を大事に…「社会に必要とされる企業」目指す

 家業を意識するようになったのは、創業者である祖父の葬儀での出来事がきっかけだ。伊藤忠商事に入社した年の春のこと。創業当初のメンバーが数多く参列。過去の祖父の苦労話を聞く中で、家業の布団屋を継いだある経営者の男性から「伊藤忠の仕事は立派な仕事だが、君じゃなくてもできる。ただ、大衛株式会社をつないでいくことは君にしかできないことだ」と言葉をかけられ、握手を交わした。このことから“事業継承”について考えるようになった。

 自身の父と事業について語り合うようになり、28歳で決意。14年に4年間勤めた伊藤忠商事を退社した。大衛株式会社に入ってからは、製造・営業・経営などを各部署で学んだあと、18年5月に副社長、21年からは4代目の社長として陣頭指揮を執っている。

 社長就任前から跡取りとして積極的に経営に参加した。社内の縦割り意識をなくすことに尽力。普段の業務の中でも細かく相談する企業文化を浸透させ、フロアが分かれていた座席を大幅に席替え。部署間の人事交流も増やし、従業員同士のコミュニケーション促進を図った。ベトナムへの海外進出についても自身の商社マンの経験を生かした。赤字体質から脱却。自身が経営に参画した16年以降は7年連続黒字、毎年の増益を達成している。

 関西の企業人として、近江商人の精神である「三方よし(買い手よし・売り手よし・世間よし)」を大事にしている。それに、現場の声を「聞くこと」が経営モットー。自社の営業部員からは、医療現場の関係者から聞いた要望やちょっとした意見まで、1週間で1000件ほど報告が上がってくるという。そのすべてに目を通している。「土日のまとまった時間が取れる時に、1週間に1度、3、4時間かけて読んでいます。開発部門担当者と共有していて、現場の声を大事にしていきたいです」と話す。

 自ら過酷な環境に飛び込んだ、その理由とは。「赤字体質や市場の縮小といったことについてすべて把握していたら、正直、継がなかったかもしれません。でも、自分がやるしかない、と思い、決断しました。私は歴史が好きなのですが、明治維新の頃の偉人たちは、当時20代、30代で日本を動かしていました。若く気力も体力もある時に、今じゃないとできないことをやりたい。そう強く思ったからです」と明かす。

 意欲がみなぎる36歳。今後は不妊治療をサポートする仕組み作りに参加することなどを検討しているといい、「今の事業にずっとかじりつく、そんな気はありません。次の道をどう作るかを常に試行錯誤しています。80年、100年と永続していく企業というのは刹那的なもうけを追い求める企業ではなく、社会に必要とされる企業だと考えています。その実現に向けて力を尽くしていきます」と語った。

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