「進撃の巨人」ED曲で話題…32歳ヒグチアイの人生 契約ドタキャンの過去「浅はかだった」

世界中で大反響のアニメ「進撃の巨人」。国内では、The Final Season Part 2がNHK総合で今年1月9日から4月3日まで放送され、エンディングテーマ曲「悪魔の子」をシンガーソングライターのヒグチアイ(32)が担当した。ヒグチは同曲で注目度が高まり、先月8日には新曲「悪い女 EP」を配信リリースした。創り出す楽曲の世界観、歌声は国内外で支持されており、ENCOUNTはその素顔と思考に迫った。2回に分けてお届けするインタビュー記事。「『悪魔の子』がもたらしたもの」をテーマにした前編に続き、後編では、ヒグチの歩み、抱く未来を紹介する。

ヒグチアイの音楽との出会いとこれからについて迫る【写真:荒川祐史】
ヒグチアイの音楽との出会いとこれからについて迫る【写真:荒川祐史】

2歳からピアノ、中2で声楽を学び、26歳でデビュー

 世界中で大反響のアニメ「進撃の巨人」。国内では、The Final Season Part 2がNHK総合で今年1月9日から4月3日まで放送され、エンディングテーマ曲「悪魔の子」をシンガーソングライターのヒグチアイ(32)が担当した。ヒグチは同曲で注目度が高まり、先月8日には新曲「悪い女 EP」を配信リリースした。創り出す楽曲の世界観、歌声は国内外で支持されており、ENCOUNTはその素顔と思考に迫った。2回に分けてお届けするインタビュー記事。「『悪魔の子』がもたらしたもの」をテーマにした前編に続き、後編では、ヒグチの歩み、抱く未来を紹介する。(取材・文=柳田通斉)

「進撃の巨人 The Final Season Part 2」のエンディングテーマ曲となった「悪魔の子」は、今年1月10日に配信リリースされ、瞬く間に国内外で大反響を呼んだ。これまでApple Music J-Popランキングでは、世界約120か国で1位を獲得。現段階でヒグチの代表曲になっているが、ここまでの歩みは、決して平坦ではなかった。

「私が浅はかで迷惑をかけた方々もいますし、後悔もあります。結局、デビューできたのは26歳の時でした」

 音楽との出会いは2歳だった。小学校の教師だった母親の手ほどきでピアノを始め、教室にも通った。

「2歳用の楽譜もあって、けん盤をたたくと音が出て、高い、低いを感じるところからだったそうです。それが楽しかったようで、物心がついた時は、自分でもピアノを弾くことが好きでした。ただ、厳しく指導され続けたことで、だんだんとピアノが嫌いになりました。結局、中2でやめてしまい、中3から声楽を習い始めました。学校では全国大会に出場するような強い合唱部に入っていたのですが、声楽の影響で次第に周りと声が合わなくなりました。声の変化で仕方ないということで、伴奏でピアノを弾くことになりました(笑)」

 高校では軽音楽部に入り、ドラムを担当した。しかし、最終的にはピアノ&ボーカルが自身のスタイルになった。

「得意なものをやった方が人に褒められることを知りました(笑)。私は高校から音楽専門の学校に行くことを考えていましたが、ピアノの先生からは『音楽を続けるなら、普通の高校で、さまざまなことを経験した方がいい。あなたの場合は』と言われました。母は『なんで、うちの娘に才能がないようなことを言うのか』と怒っていましたが(笑)」

 県立高の普通科で高校生活を送ったヒグチは、3年の時点で「音楽で生きていく」と決意。インターネットで検索し、見つけたあらゆる音楽事務所に作詞、作曲したオリジナルソングのデモテープを送るようになった。進んだ大学では、「声質がジャズに合っている」と言われるも、「そういう人ばかりがいる世界より、個性を生かしたい」と決め、シンガーソングライターへの道をまい進した。

熱心な誘いを受けた事務所を断った過去も。「あり得ないことをした」と語った【写真:荒川祐史】
熱心な誘いを受けた事務所を断った過去も。「あり得ないことをした」と語った【写真:荒川祐史】

音楽事務所との契約をドタキャン「ひどく後悔しました」

「大学は1年半で休学し、その2年後に中退しました。デビューに向けた話はいろいろとあり、21歳の時にある事務所と『あとは私のサインとハンコだけ』という状況になりましたが、私は契約当日にそれを断りました。直前に本来、私が行きたかった事務所からお話をいただいたからです。本当にひどいことをしました」

 しかし、行きたかった事務所とは契約に至らなかった。ハシゴを外された形だ。

「私の力が足りず、求められた楽曲が作れなかったということだと思います。そして、熱心に誘っていただいた事務所に入らなかったことをひどく後悔しました。ただ、浅はかだった21歳の自分があのまま契約し、デビューしていたら、25歳ぐらいでこの仕事を辞めていたことは想像できます」

 自己嫌悪の中でもヒグチは曲を作り、自主制作でCDを出し、ライブ活動を重ねた。その実力は徐々に評判となり、16年、テイチクから念願のメジャーデビューを果たした。

「アルバイト先は主にカレー屋さんで、デビュー後も続けていましたが、苦労したとは感じていません。それでも、デビューのタイミングで、私が断ってしまった事務所の社長とプロデューサーに再会し、あらためて謝罪しました。社長は笑いながら『あの時は困ったよ~』と話されていましたが、今でも、私はあり得ないことをしたと思っています。ただ、プロデューサーとは縁あって今、一緒に仕事をさせていただいています。そして、ピアノの先生には2年前に会いに行きました。先生は『音楽は、日常という根っこを大事した上でいいものができる』と話されていましたが、私も『音楽のために生きる』ではなく、『生きている中に音楽あるべき』と思っています。先生には感謝しかありません」

次のページへ (2/2) 「悪い女 EP」は冒頭からドキリ「1回だけだと……」
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