AKB48選抜落ち→CM女王へ 仲川遥香がインドネシアで貫いた“プロ根性”、移住を決断した理由

「世界で最も影響力のあるツイッターアカウント」にもランクインし、移住したインドネシアでは多いときには20本以上のCMに出演し、“CM女王”としての立場を築き上げた元AKB48の仲川遥香。なぜJKT48移籍を決めたのか、現地でのアイドル活動について芸能活動15年を迎えた今、振り返ってもらった。

芸能生活15年、仲川遥香のこれまでに迫る
芸能生活15年、仲川遥香のこれまでに迫る

インドネシアとの出会い「選抜メンバーより人気なのかな」

「世界で最も影響力のあるツイッターアカウント」にもランクインし、移住したインドネシアでは多いときには20本以上のCMに出演し、“CM女王”としての立場を築き上げた元AKB48の仲川遥香。なぜJKT48移籍を決めたのか、現地でのアイドル活動について芸能活動15年を迎えた今、振り返ってもらった。(取材・文=島田将斗)

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「なんで仲川?」。インドネシアでの人気ぶりにAKB48のスタッフも驚いた。しかし、その出会いこそが運命を変えるきっかけだった。

 2007年4月にAKB48として活動をスタート。12年11月にはJKT48に移籍した。きっかけは同年2月にジャカルタで初めて行われたAKB48のコンサートでの出来事だった。

「私のファンの方から大きな花のプレートをいただいて、それが私だけだったんですよ! そのとき有名なメンバーもいっぱい行ってたし、『なんで仲川?』とスタッフさんもざわついていました」

 約5年間、AKB48で活動していたが選抜メンバーに選ばれることはなかった。そんな仲川にとっての初めての経験、スポットライトが当たった瞬間だった。

「『私のファンってこんなところにまでいるの? うれしすぎる』って思いましたし、インドネシアのファンの人って熱狂的。日本にいたときにそういう経験をしたことがなかったので、それがすごいうれしくて『行ってみるのもありかな』と思って相談させていただきました。選抜メンバーより人気なのかなって」

 コンサート後、話し合いを進めるために積極的に動いた。「ちょうど兼任があって、『私も兼任とかできるんですか? 海外でもできるんですか?』っていうのを聞くところから始まりました。何度かミーティングをして、大人の方が動いてくださって実現しました」と振り返った。

 プロデューサーの秋元康氏も話し合いには参加した。「『本当に行きたいの? 本当に行きたいなら動くよ』と言ってくれました。何回かお食事させてもらって、どういう風にしていくか、インドネシアに住んで生活して活動することは可能なのか話し合いました」と記憶をたどった。

 自ら志願してのジャカルタ行き。心境はというと当然「楽しみ」が大きかったようだ。一方で「本当にさせてくれるんだ」という驚きもあった。

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先輩としてJKT48へ喝「ファンとの連絡は禁止です」

 海外挑戦には言語の壁はつきもの。英語でもなくインドネシア語となると触れてきた機会はゼロに等しい。それでも仲川にとっては苦ではなかった。

「本当にメンバーに助けられて、ハーフの子とか日本人の子がいたので聞くことができる環境がありました。行ってから2か月少しで初日を迎えて、全然話せないんですけど、ステージの上はどっちにしろ話さなきゃいけない。そういったなかで『早く覚えたい』というのも強かった。そこでグンと伸びました」

 実践で学んでいったようだが、当然語学学校に通う選択肢もあった。「スクールとかは用意してもらったんですけれど、1回行っただけです(笑)。勉強が苦手で学校で勉強するのが得意ではなくて……。最初は『行ってる?』って怒られたんですよ」と苦笑いした。

 全くといってもいいほど苦労を明かさないが、アイドル活動の話となると別だった。文化の違いに驚きつつも先輩として“プロ根性”をたたき込んだ。

「JKT48とAKB48は全然やり方が違いました。それを教えるのが大変で、日本でいったら普通なことがインドネシアでは普通でなかったりする。私が言ってもみんなにうまく伝わっていなかったり……。でも、自分の普通を押し付けていたなという勉強になりましたね」

 国民性なのだろうか。アイドル活動をするうえでの根本的な考え方から違っていた。日本では想像がつかない現地の事情を明かす。

「『遅刻しちゃダメだよ』とか『ファンとの連絡は禁止です』とか『握手会で個人情報言ったらダメだよ』とかちょっとしたことから教えないといけませんでした。やっぱりみんなフレンドリー、文化の違いもあると思うんですけれどファンとも仲良くなりやすいんです」

 アイドルの本流でいろはを学んできた仲川にもプライドがあった。

「ファンとの距離が近いのは良いところでもありましたが、お金を払ってきてもらっているから『ちゃんとしたパフォーマンスを見せないといけない』ことは伝えました。インドネシアで劇場を持っているのはJKT48だけだったので」

 AKB48との合同活動の際にも再会を懐かしんでいる暇などなかった。「AKB48のステージに出させてもらうときは『よく見てて、AKBの人はこんな感じだよ』と言っていましたね。JKT48の1期生はそこで学んだのかなと思いました」とうなずいた。

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同期・柏木由紀へ尊敬の念「30歳を過ぎてもできるのはゆきりんしかいない」

 芸能生活は15年になる。目まぐるしく変化し続けた人生を振り返った。

「15年前の自分では想像できないことをしています。芸能界に入った理由はアイドルになりたくてというわけではなく、『絶対受からないだろ』っていう状態で受けたら受かったところから始まりました。それでも舞台に初めて立ったときには『こんなにすてきな場所があるんだ』って、今でも忘れていないです」

「こんなに長くタレント活動をするとも思っていませんでした。ちょうど19歳、みんなが大学に行くというときに私も同じように悩んだんです。『このまま芸能を続けるのか、辞めて大学に行って就職するのか』。逆に今では私は絶対会社に入れないだろうなとは思います。やっぱりこの芸能活動が天職だったのかなと思います」

 16年の12月にJKT48を卒業してから5年以上がたった。現在の恋愛観については「今は興味がないです。25歳でJKTを辞めて『結婚できるじゃん』ってなったんですけど、友だちと遊んだりとか自分の時間が充実しすぎて『できたらいいですね~』って感じです」と明かした。

 今年5月8日には日本に一時帰国し、AKB48の3期生15周年公演にも参加。現在も現役で活動している柏木由紀のほか、浦野一美、多田愛佳、片山陽加、菊地あやか、田名部生来、仲谷明香、平嶋夏海ら懐かしのメンバーとともにステージに立った。

「久しぶりにAKB48の劇場に立てたので、本当に楽しくて。今回は卒業生が多かったので、リハーサルから長くやりました。1週間ぐらいの期間、AKBに戻ったような気がして本当に楽しかったです!」

 今も変わらずアイドルとして活動を続ける柏木には尊敬の念を抱いていた。

「本当にすごいの一言。努力をしていて、いろんな意見もあると思うんですけれど、そのなかでも自分ができることをちゃんとやっていて、自分を貫いていて、私はすごいなって思う。ゆきりんがAKBにいてくれるから3期生も集まって公演ができます。30歳を過ぎてもできるのって多分ゆきりんしかいない。だからこそ私たちもおふざけとかなしで応援してるし、できるところまで頑張ってほしい」と力を込めた。

「なんで仲川?」から始まった海外挑戦。そのチャンスを逃さなかったことで未来がひらけた。海外で成功した仲川の名はアイドル界の“レジェンド”として残り続けるに違いない。

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