39歳の元局アナに絶えないグラビアのオファー 初めてだった「女性から声援受ける」経験

熊田や熊切に影響され、肉体改造に努めた【写真:舛元清香】
熊田や熊切に影響され、肉体改造に努めた【写真:舛元清香】

局アナから転身、数々の作品も…「いまだに恥ずかしさ」

 そのストイックさも評価され、昨年は4冊目のソロ写真集「Nocturne」(講談社刊)を発売。雑誌のグラビア、DVD、新写真集のオファーは絶えず、塩地は「ありがたいことに年内のスケジュールは既に決まっていて、来年の仕事も入り始めています」と明かした。作品によっては露出が多めになるが、「いまだに恥ずかしさはあります」。ただ、現場ではそのマインドも評価されているという。

「スタッフの方が言うには、『恥じらいがあった方が見たいという感じになる』そうで、『これからもそれは持ち続けていてね』と言われています」

 もっとも、15年春に上京した当時は、今の自分は想像できなかったという。秋田朝日放送に在職時は、情報番組「サタナビっ!」でMCを担当。土曜日午前の番組ながら世帯平均視聴率20%超の日もあり、視聴率争いに敗れた他局の幹部に「塩地の人気に負けた」と言わしめたほどだった。セクシーさよりも、人懐っこいキャラクターが受けていたが、父親が「余命半年」と宣告されたことを機に14年に退職。その後もフリーアナとして秋田在住のままで同局の番組に出演し、上京後も1年間は秋田に通い続けた。その中で届いたグラビアのオファー。水着もなく、ワンピースで横たわる程度だったが、仕事を重ねるごとに内容は変わっていった。

「よくある話ですね(笑)。地方から出て来て名前を知ってもらうのは、『グラビアから』と説明され、受けた時点で報道や情報番組のレギュラーはないと思っていました。テレビ局から来る出演オファーは、主にキー局アナVSローカル局アナのバトル企画でした。ローカル局の劣っている点をしゃべる役割と思って出演していましたが、本音は『秋田でいい経験をさせてもらった』と感謝していたので、複雑な思いがありました」

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