【週末は女子プロレス#41】スターダムの看板レスラー“ビッグダディ三女”林下詩美 両国で目指す白ベルト奪取

2021年12月29日に東京・両国国技館大会を成功させたスターダムが26・27日、女子プロレスとしては史上初となる両国2連戦を開催。昨年度の女子プロレス大賞を受賞した林下詩美は、団体最高峰となるワールド・オブ・スターダム王座を1年間守り抜くと同時に、赤いベルトの価値を絶対的なものにしてみせた。

昨年度の女子プロレス大賞を受賞した林下詩美【写真:新井宏】
昨年度の女子プロレス大賞を受賞した林下詩美【写真:新井宏】

赤いベルトを極めた詩美が“ナンバー2タイトル”に挑む理由

 2021年12月29日に東京・両国国技館大会を成功させたスターダムが26・27日、女子プロレスとしては史上初となる両国2連戦を開催。昨年度の女子プロレス大賞を受賞した林下詩美は、団体最高峰となるワールド・オブ・スターダム王座を1年間守り抜くと同時に、赤いベルトの価値を絶対的なものにしてみせた。

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 その功績が認められてのMVPとなったわけだが、11年におよぶ団体の歴史のなかで最大の勝負となる今度の両国2連戦において、詩美は12・29で朱里に明け渡した赤ではなく、白いベルトのワンダー・オブ・スターダム王座に挑戦する(現王者は上谷沙弥で、初日の勝者に2日目で中野たむが挑戦)。

 もはや“ビッグダディ三女”の肩書など必要ないほど女子プロ界のトップに君臨、赤いベルトを極めた詩美がなぜこの期におよんでナンバー2とされるタイトルに挑むのだろうか。王座奪取のキャリアを振り返りながら、その意味を考える。

 詩美はテレビ番組で話題の大家族、ビッグダディ(林下清志さん)の娘であることを隠すようにスターダムに入門。プロレスが大好きで、純粋にプロレスラーになりたいと思ったからだ。話題先行は本人の意図するところではなかったが、団体の方針からビッグダディの娘であることを公表。とはいえ、それ以前に彼女にはレスラーとしての才能とセンスに恵まれていた。18年8月12日、後楽園ホールでのジャングル叫女戦でデビューすると、先輩相手にいきなり時間切れ引き分けをやってのけ、直後にスタートするシングルナンバーワン決定リーグ戦「5★STAR GP」にエントリーされたのだ。

 リーグ戦では優勝こそ逃したものの、いきなり決勝戦までコマを進める快挙。スターダムのアイコンと呼ばれる岩谷麻優に肉薄し、将来のエース候補であることを遺憾なく見せつけたのである。新人としては規格外、反則級の実力の持ち主だった。

 リーグ戦に臨んだこともあり、デビュー当初はシングルマッチ中心に組まれていた詩美。しかし、プロレスにタッグマッチは欠かせない。さらなる進化を遂げるためにも、詩美には正パートナーが必要だった。そんな詩美に手を差し伸べたのが渡辺桃で、18年11月23日、この2人でタッグのベルト、ゴッデス・オブ・スターダム王座を奪取。詩美にとって初めてのチャンピオンベルトだった。「デビューしてからシングルばかりやってきたので、タッグのベルトを取ることにより、初めて仲間の大切さを知りました。私にとって、とても大切なベルトになりましたね」

 18年末のルーキー・オブ・スターダムでは3人ごぼう抜きで余裕の新人王に輝くと、19年1月3日にはスターライト・キッドを破りフューチャー・オブ・スターダム王座戴冠。これが初めてのシングルベルトではあったが、圧倒的強さにより若手のためのタイトルという王座のあり方さえ変えてしまう。失うような雰囲気はまったくなく、結果的には後進に託す形で返上(同王座は上谷沙弥、舞華、飯田沙耶の間で争われ、詩美が作った王座像を引き継ぐような流れを生み出した。これもまた詩美の功績のひとつである)。

「デビューしたばかりの私でしたけど、壁になってあげますよという感じで挑戦を受けていたのがフューチャーのベルトですね」

 しかも詩美は、フューチャーを保持しながらほかのベルトにも積極的に挑んでいった。その結果、一時は4冠王に君臨。ゴッデス、フューチャーに加え、SWA世界王座とEVEインターナショナル王座(英国EVEのタイトル)をバイパー(現ドゥードロップ=WWE)から同時奪取。当時は海外からの参戦も多く、詩美は外国人とも頻繁に対戦していたのである。「SWAは他国籍の選手と闘うルールがあるので、自分の視野が広がるベルトになりました」。4冠時ではないが、19年11月には桃&AZMとのクイーンズクエストで6人タッグのアーティスト・オブ・スターダムも手に入れた。

 フューチャー王者時代、詩美は赤と白の2大王座にも挑戦している。フューチャーの意味を考えれば、これは異例中の異例と言っていい。19年4月には海外で桃の白いベルトに挑み、同年8月10日にはビー・プレストリーの赤いベルトに初挑戦。敗れはしたものの、デビュー1年で最高峰王座に挑んだのは快挙以外の何物でもない。そして、20年1月19日には星輝ありさの白に再チャレンジ。赤白とも届かなかったが、この経験がのちの赤奪取に大きく生きることとなる。

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