新日本プロレス卒業の尾崎仁彦リングアナが歩んだ15年半 50歳を機に決断した新たな道

「外から応援していきます」。2・7東京・後楽園ホール大会のコールを最後に、新日本プロレスを退社した尾崎仁彦リングアナウンサーだが、永遠のプロレスファンを貫くという。

マイクが似合う尾崎仁彦リングアナウンサー【写真:尾崎仁彦氏提供】
マイクが似合う尾崎仁彦リングアナウンサー【写真:尾崎仁彦氏提供】

今後は“外側”からプロレスを応援するいちファンに

「外から応援していきます」。2・7東京・後楽園ホール大会のコールを最後に、新日本プロレスを退社した尾崎仁彦リングアナウンサーだが、永遠のプロレスファンを貫くという。

 スーパーの社員から「やりたかったプロレスの仕事」に飛び込んで20年。アルバイトから始め、営業担当となり、2006年9月リングアナに抜てきされ15年半がたった。

「7月11日に50歳になる。半世紀の記念日を前にして、新たなことに挑戦したくなった。定年は一般的には60歳。となると、あと残り10年。50のチャレンジ1年生です」と決断した。

 ここ20年で培ったプロレス人脈を駆使して新たな仕事を模索しているが、プロレス界とは直接は関わらない。「これまで大好きなプロレスを内側から見られた。これからは外側から、ファンとして応援していきたい」とにっこり。この20年、正直、大変な思いもしたが、プロレス愛は深まるばかり。「素晴らしい時間だった」と振り返る。

 リングの運搬、設営などの仕事をしながらのリングアナ。1人体制で任せられた時期も長かった。「正直、体調の悪いときもありましたが、1人のときは1回も休んでない」と振り返る。

 悪漢レスラーに脅されたり、襲われたり、リング上はまさに危険地帯。大阪市中央体育館大会で「バーバー矢野(通)」に髪を刈られたのは10年2月10日のことだった。はっきりと覚えている。「それから、髪型を変えた」と苦笑い。

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