さびついていなかった古舘伊知郎のプロレス実況 猪木氏誕生会で示した存在感

"燃える闘魂"アントニオ猪木氏の喜寿を祝う会が20日、都内のホテルで盛大に催された。

名コンビが復活した
名コンビが復活した

「アントニオ猪木の喜寿を祝う会」でよみがえった"伝説トーク"

“燃える闘魂”アントニオ猪木氏の喜寿を祝う会が20日、都内のホテルで盛大に催された。

 猪木氏を祝うため、関係の深い約300人が出席。坂口征二、グレート小鹿、藤波辰爾、長州力、天龍源一郎、藤原喜明、木戸修、木村健悟、ジョージ高野のほか、小川直也、佐々木健介、北斗晶、ブル中野、宮戸優光、澤田敦士、タカ・クノウらも出席。また、初代タイガー・マスクや武藤敬司、蝶野正洋、新日本プロレスの獣神サンダー・ライガーや棚橋弘至、オカダ・カズチカからも花束が届けられるなど、猪木氏の節目をプロレス界を上げてお祝いしようという空気に包まれた。

 そんな中、最も大事な猪木氏の入場を担当したのがフリーアナウンサーの古舘伊知郎だ。かつてテレビ朝日「ワールドプロレスリング」の実況を10年にわたり担当。数々の名言を残し、猪木氏とともに新日本の全盛期を支えた名司会者も、プロレス界を離れて久しく、その語りに注目が集まった。

 暗転した会場でスポットライトを浴びた古舘はマイクを持って、猪木氏の経歴を次々に紹介していく。

 まずは中学2年の終わりに船でブラジルに移住する際、船上で祖父を亡くした猪木氏の心情に迫ると「アントニオ猪木はその時、独特の死生観を持ち始めたと言います」と表現。ブラジルで力道山にスカウトされ、帰国後の若手時代は「日本プロレス、黄色いショートタイツでキラ星のごとく蝶のように舞いながら大活躍しました」とたとえた。そして「いよいよ大田区体育館、新日本プロレスの旗揚げ。カール・ゴッチとの死闘を演じて、今まさに昭和プロレスの黄金期を迎えたのであります!」。

 その口調は抑揚をつけながらもどんどん熱を帯び、古舘の語りは止まらなくなった。

「ドリー・ファンク・ジュニアとの死闘、フルタイム、ビル・ロビンソン、大木金太郎との名勝負、さらにはストロング小林戦。一方で異種格闘技路線、ウイリアム・ルスカ、モハメド・アリ、さらにモンスターマン、ウイリー・ウイリアムス、さまざまな戦いを経て、猪木は満身創痍になりながら戦いのロードを歩んでまいりました。政界にも身を転じました。どんなに歴戦のつわものでも、猪木は体にダメージを負っても、名勝負の傷跡が肉体に刻まれても、齢77を超えても、心はいつも『戦う若人』です。今、燃える闘魂、アントニオ猪木が入ってまいります!」

 3分間に及んだ古舘の前口上に、会場の誰もが引き込まれていた。「炎のファイター」が流れると、古舘はさらにギアを上げてしゃべり倒し、最後は「まさに人生のホームレス、アントニオ猪木です!」と叫んで、猪木氏をステージに呼び込んだ。

「報道ステーション」のメインキャスターを12年間務め、プロレス界から長く遠ざかっていた。猪木氏の入場を実況したのは2002年8月28日に旧国立競技場で開催された格闘技イベント「Dynamite!」以来、実に18年ぶりのこと。9万人の大観衆が見守る中、上空3000メートルからスカイダイビングでリングに降り立ったあの伝説のシーンを中継したのが最後だった。しかし、古舘の職人芸はさびついていなかった。最高潮の盛り上がりを生み出し、猪木氏の喜寿に華を添えた。

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