ダイアモンド☆ユカイが別居の真相を独白「家族の未来を守っていくための決断」

双子の息子と3人で暮らしてみて気が付いた妻への感謝

――ユカイさんが家事をやっている?

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「そう。“パパっとパパ料理”だよ(笑)。テレビの料理番組を見てメモったり、YouTubeを見て簡単に作れるような料理を作っているんだ。今のところ子どもたちにはどれも評判が良くてね。アスパラのベーコン巻とか、チャーハンなんかも気に入ってくれているよ。あとキュウリの浅漬けなんかは妻から『ビニール袋に入れて塩もみするとすぐできるよ』って電話で教わってすぐにやってみたんだけど意外に簡単においしくできるんだよね。3人でバクバク食べてるよ。やっぱり手作り料理って良いよね」

――今一番大変なことは?

「大変なのは息子たちの習いごとの送り迎えだよね。スケジュールを合わせるのが大変で、どうしても忙しい時は、近所のパパ友やミュージシャン仲間にお願いするんだけど、仕事が忙しい時は、たまに送り迎えの時間を忘れていて『あっ!しまった!』ってあわてて仲間にお願いすることもあるんだよね。そういうのも妻は毎日やっていたんだって思ったら本当にすみませんって気持ちになるよ。女性は強いよね」

――パパ友ネットワークっていうのはこういう時に力を発揮するんですね。

「そうなんだよ。助け合いでね。本当にありがたい。でもパパ友と話すと結構家のことをみんなちゃんとやってるんだよね。今はそういう時代なんだなって改めて思ったよ」

――何はともあれ現在のダイアモンド☆ユカイの原動力は家族の元気ですからね。

「まずは子どもたちの健康と成長。そして妻だよね。俺の妻は田所豊の妻でもあるんだけど、ダイアモンド☆ユカイの妻でもあるんだ。こんなに手の付けられないユカイにも付き合ってくれる人なんて妻しかいないからね。だから妻と子どもたちを今まで以上に守っていくための決断なんだよ」

――それでいったん距離を置いてみようと?

「実際はそんな格好良い話じゃないけどね(笑)。本当にギクシャクしちゃったことも原因の一つだからさ」

――コロナ禍というのは、いろんな意味で見つめ直す時間でもありますね。

「確かにその通りだと思う。コロナ禍だったから家族をもう一度見つめ直すことができたって思うよ。そしてようやく家族の心配事がちょっと解決できたんで次は自分のやりたいことを整理しようと思ってね。それが俺の中ではロックンロールなんだ。ロック歌手として絶好調で歌える時間はもう残り少ないって自分でも分かっているからさ」

□ダイアモンド☆ユカイ 1962年3月12日、埼玉県大宮市生まれ。86年、ロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてデビュー。日本武道館、西武球場でのライブを成功させ89年に解散、ソロに。俳優としては88年、日米合作映画「TOKYO POP」でデビューし、映画「弾丸ランナー」やミュージカル「ミス・サイゴン」などに出演。タレントとして多くのバラエティー番組で活躍。2009年、一般女性と再婚。無精子症と判明し不妊治療を行い2男1女に恵まれたことから、男性不妊の啓発活動も熱心に行っている。21年、木暮“Shake”武彦とロックユニット「Diamond Shake」結成。22年3月27日、「東京アメリカンクラブ」(港区麻布台)で還暦を記念したライブを行う。

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