中西学「挫折はたくさんあったけどプロレスが好きだった」引退直前インタビュー(前編)

1つ1つの質問に丁寧に答えてくれた【写真:山口比佐夫】
1つ1つの質問に丁寧に答えてくれた【写真:山口比佐夫】

農家の息子がプロレスラーに

 小さい頃は親父の農業しか手伝ったことがなくて、でも、そんなん格好ええもんちゃいますよ(笑)。俺があまりにも変わり者な子だったんで、こんなやつを表に出してええんやろうかって、親父は悩んだんとちゃいますか。ただ、ちっちゃい頃からプロレスラーになりたいって漠然とした夢があって、「プロレスラーになるには、何やったらええんやろう?」って。プロ野球選手なら野球をやればええけど、まあ柔道とかラグビーやってプロレスラーになった人もおるけど、普通に考えたらレスリングやと。ただ全然レスリングわからへんかったんやけど、そん時の高校の先生が、学校で1番恐かった先生で、そこで仕込んでもらったのが運が良かったんですね。

 それから10年経って4連覇させてもらって、それでやっと格好というか形ができた。挫折はたくさんありましたけど、レスリングが好きになりましたね。でも女の子にキャッキャ言われたりはなかった、別にキャッキャ言われなくても面白いんですけど。ただ男子なんて世界では、なかなか勝てないですから。特に重量級なんか味噌くそに言われてね。でもオリンピックという華やかな世界に行ってみたいと思って、日本代表だけでは出られへん、外人に勝たなアカンてなって。それで新日本プロレス(闘魂クラブ)に入って、海外で外国人の選手とか重量級の選手と練習して、外国人恐怖症克服のための精神的なスキルを鍛えてもらって。逆に外国人を怖がらせるだけのものを出して行こうと思いましたね。

憧れのプロレスラー

 憧れのレスラーはアマチュアレスラーになってからはマサ齋藤さんですけど、その前はやっぱり猪木さんですね。馬場さんのレスリングは馬場さんにしかできへんから(笑)オリンピックに出て、頭を切り替えて新日本プロレスでやっていこうと、せやけど、最初にちやほやされたから(勘違いして)浮かれてしまってね。それでトップになるまで10年もかかってしまいましたね。入った頃に最初に倒したいと目標にした相手は…あの頃は口には出せへんかったけど、プロレスを教えてもらった馳浩さんと佐々木健介さん、この2人は超えたい、倒したいっていうのは思ってました。デビュー当時のレスリングタイツにヘッドギアというスタイル、あれは長州さんのアイデアですね。当時のスタイナー・ブラザーズの真似っちゅうか(笑)。

IWGPヘビー級王座を後楽園ホールで獲得

 この思い出はめっちゃでかいですよ。リング上でマイク持ったとき、あんまり軽いことを口走ってしまうと応援してもらった皆さんに申し訳ない。せやけどもほんまに色んな感情が出てしまって。これからああしたいこうしたい、どうのこうのなんて、そんな軽々しいことを言うたらほんと申し訳ないなと思って「皆さん見捨てずに応援してくれてありがとうございました」って、あれは自然に出てしまった言葉でしたね。

レスラー人生で1番感謝したい人

 やっぱり丈夫な体で生んでくれた母ですね。丈夫に生んでくれたおかげで27年間やってこれましたから。感謝してます。実は母はプロレスは心臓に悪いからって、あんまり見なかったんです。代わりにおばあちゃんがプロレスの大ファンやったんですよ(笑)。

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