師・猪木の教えを守って生の自分を見てもらう 72歳になった藤原喜明組長は生き様を披露する

プロレスも趣味も全力投球 陶芸用の道具を手作りする一面も

 工業高校を卒業し、サラリーマンや板前を経て1972年に23歳で新日本プロレスに入門した。関節技を得意とし猪木のスパーリングパートナーも務めた。海外遠征にも同行し、猪木の身辺を固めた。

 プロレスラーとしては地味で前座に甘んじていたが、1984年、当時日の出の勢いだった長州力を花道で襲撃。テロリストと呼ばれ、花開いた。UWFにも参加し1991年には藤原組を設立している。その後も多くの団体に参戦し、令和になっても人気を博している。

 言いたいことがあるという組長。「12年前に16歳で死んだペットのピットブル。36キロもあったんだ。ちゃんとしつけをしないと、とんでもないことになりかねない。普段はとことん可愛がってやって、オイタをしたら、コツンと拳骨を落とす。そうしないと、分からないんだよ。しつけは愛情だよ。でも今、愛犬を殴ったら大変だよな」と頭を横に振った。

 2、3日に1回、プールに出かけ、水中ウォーキングをしたり、プールサイドでスクワット運動をする組長。妙齢の女性に声をかけるという。「声かけられるうちが華じゃないか。皆さん、喜んでくれるよ」とウインク。大相撲や運動部などでしばしば問題になるパワハラ問題も「論外の話も多いけど、愛があれば、時には厳しくもなるよ。線引きは難しいけどね」と、人間の根本は「愛」だと説く。

 プロレスに全力投球し、趣味も楽しみながらトコトン突き詰めている。陶芸用の道具を「こんなのがあれば、便利だよな」と手作りしてしまうなど、人生経験を積んで深みを増した72歳の等身大の藤原組長。リングの上でも外でも魅力たっぷりだ。

次のページへ (3/3) 【写真】リングに上がる藤原喜明組長は常に全力ファイトだ
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