【ズバリ!近況】“ミスター・アマチュア野球”杉浦正則はニッセイで法人営業部長「野球の方が楽だった」

堂々とした体格の杉浦さん【写真:ショーン】
堂々とした体格の杉浦さん【写真:ショーン】

朝5時半起きで子どもの弁当作りをする毎日

 今振り返れば、プロ入りすれば良かったかな、とも思いますが、当時はいくらお金を積まれても五輪金の夢は全く揺れませんでしたね。五輪のメダルは自宅の本棚の上にしまってあります。一番の思い出はアトランタ五輪のキューバとの決勝。私がプロにいかずアマチュアにこだわったのは、世界一のキューバを倒して金メダルを取りたい一心でしたので。自分が先発して2回途中まで投げ6失点して負けたのは申し訳なかったですが、崖っぷちからはい上がって決勝で戦えて、戦い終えた後はすがすがしい気持ちになりました。試合後、キューバの選手や監督と健闘をたたえ合えたこと、負けたのに「日本もランをしろ」と観客が盛り上げてくれたこと、帰国時に空港で皆さんに「銀メダルおめでとう」ではなく「感動をありがとう」と言っていただけた思い出も五輪ならでは。そんな五輪に3大会も出場できたのは、普段から勝つことに思いや行動をぶつけていたので、監督が選んでくれたのかな、と思います。

 子どもは引退後にできたので、僕のプレーする姿を見せられなかったのは残念です。上の女の子は今、まだ高校2年生、下の男の子は高校1年生です。上の子は卓球部、下の子は帰宅部でプログラミングにハマッています。子どもらには体操や水泳などいろいろやらせてみましたが、とくに野球をやらせはせず、興味も持ちませんでしたね。もちろん、僕の経歴は知っていますが、特に尊敬してくれているようには感じないかなあ(笑)。

 カミさんは学生時代、陸上ハイジャンプの選手だった人で、社会人になってから知り合って結婚しました。カミさんは今、小学校の先生をしていて忙しいので、私も朝5時半に起きて子どもらの弁当を作ったりしてから、午前7時半に出社しています。帰宅は午後9時過ぎ。午後11時には寝てしまいます。帰宅後に、録画している韓国時代劇を家族でちょこっと見るのが楽しみですね。NHKで放送していた「トンイ」に始まって、今は「逆賊-民の英雄 ホン・ギルドン-」を見ています。

□杉浦正則(すぎうら・まさのり)1968年5月23日、和歌山県・九度山町生まれ。同志社大のエースとして活躍し関西学生野球リーグ通算23勝を記録。91年、日本生命入社。翌92年のバルセロナ五輪日本代表に選ばれ銅メダル、96年のアトランタ五輪では銀メダルを獲得し、2000年のシドニー五輪では日本選手団の主将も務めた。五輪通算5勝。再三のプロ入り要請を辞退しアマチュアにこだわったことから“ミスター・アマチュア野球”と呼ばれた。00年のシーズン終了後に現役を引退し、日本生命投手コーチ、監督を務め、15年には社会人野球日本代表投手コーチを務めた。

次のページへ (4/4) 【写真】1996年アトランタ五輪の米国戦で投げる杉浦正則さんの雄姿、実際の写真
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