【ズバリ!近況】五輪メダリストのソフトボール“女大魔神”高山樹里は車椅子ソフトの活動と電撃婚で充実笑顔

23日、いよいよ東京五輪が開幕する。それに先駆け、ソフトボールは21日にオーストラリア戦で幕が開ける。ソフトボールは3大会ぶりに五輪競技に復活しただけに期待が集まる。ところで、かつて日本代表エースピッチャー“女大魔神”として活躍し、2000年シドニー五輪で銀、04年アテネ五輪で銅メダルを獲得した高山樹里さん(44)は、どうしているのか。東京・品川のレストランで高山さんに聞いた。

“女大魔神”と言われた高山樹里さん【写真:荒川祐史】
“女大魔神”と言われた高山樹里さん【写真:荒川祐史】

ソフトボールから離れナチュラルリュージュで五輪を目指している

 23日、いよいよ東京五輪が開幕する。それに先駆け、ソフトボールは21日にオーストラリア戦で幕が開ける。ソフトボールは3大会ぶりに五輪競技に復活しただけに期待が集まる。ところで、かつて日本代表エースピッチャー“女大魔神”として活躍し、2000年シドニー五輪で銀、04年アテネ五輪で銅メダルを獲得した高山樹里さん(44)は、どうしているのか。東京・品川のレストランで高山さんに聞いた。(取材・構成=中野裕子)

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 ソフトボールから離れ試合もあまり見ていないので、解説のオファーは今のところありません。五輪期間中はJADA(日本アンチ・ドーピング機構)のアスリート委員の仕事で啓発イベントを行ったり、スポーツ紙から原稿執筆の依頼を受けたりしていますが、どうなるかまだ分かりませんね。

 09年に「豊田自動織機」社のソフトボール部を離れ、会社には所属したままボブスレーやスケルトンに打ち込み五輪出場を目指していました。今はナチュラルリュージュという競技でチームを結成し代表を務めています。いつか監督として五輪に出られたらいいかな、と思っています。私は子どものころからソフトボールだけではなく柔道や水泳もやってきたので、いろいろな競技に挑戦してみたいという気持ちが強いです。その方が、視野が広がりますから。

 ソフトボールは引退? プロではないので、引退も何もない、と自分では思っています。コロナ禍の前は、シドニーとアテネの五輪を指揮した宇津木(妙子)監督が理事長を務めるNPO法人「ソフトボール・ドリーム」の活動で、月に数回、全国各地で講習会を行いデモンストレーションで投げていました。五輪のころのスピードは92~95キロ出ていましたが、今は85キロくらいです。でも選手として、まだやれると言えばやれるのかもしれません。でもまぁ、楽しみでやるくらいでいいです(笑)。

日本車椅子ソフトボール協会の理事長を務めている

 今は一般社団法人日本車椅子ソフトボール協会の活動がメインです。去年から理事長を務めているので、企業のトップの方にお会いして理解を深めていただくようお話したり、資金面でご協力をお願いしたりしています。

 車椅子ソフトに関わり始めたきっかけは、ボブスレーやスケルトンの合宿でお世話になった大学でその存在を知り、お手伝いを始めたこと。指導の手が届かない選手に、基本を教えることに魅力を感じました。というのは私自身、中学時代、ソフトボールの講習会に参加しても全く見向きもされない選手でした。指導者は戦力となる選手には指導しますが、控えの選手は二の次なので。それに、大事なのは基本。若い選手に基本をしっかり教える方が私には合っている気がします。車椅子ソフトボールを通して、私が見た素晴らしい世界を経験するお手伝いを少しでもしたいと思っています。

 もう一つ力を入れているのが、トータル・オリンピック・レディス会(TOL)の活動です。TOLは1985年に発足した女性オリンピアンの集まりで、4年前から会長を務めています。女性のスポーツ文化の普及向上や会員の親睦を目的として、フォーラムや講演、年1回の会報誌の発行をしています。おかげで五輪のレジェンドらとお話する機会を得られて、とても勉強になっています。

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