偉大な「マサ」のリングネーム 武藤敬司に太鼓判を押されたマサ北宮にマサ斎藤さんの勇姿

GHCヘビー級王者・武藤敬司から「マサ北宮あっぱれだよ。受け継いでいいよ。俺が後見人になってやる」と太鼓判を押されたマサ北宮。マサ斎藤さんのリングネーム「マサ」を堂々と受け継ぐことになった。

マサ斎藤さんにますます似てきた「マサ北宮」【写真提供:柴田惣一】
マサ斎藤さんにますます似てきた「マサ北宮」【写真提供:柴田惣一】

ビッグバン・ベイダー、ロード・ウォリアーズからも信頼の名選手・マサ斎藤さん

 GHCヘビー級王者・武藤敬司から「マサ北宮あっぱれだよ。受け継いでいいよ。俺が後見人になってやる」と太鼓判を押されたマサ北宮。マサ斎藤さんのリングネーム「マサ」を堂々と受け継ぐことになった。

 思えば武藤も北宮も、斎藤さんの薫陶を受けた選手。武藤は誰もが認める「令和の御大」となり、北宮も「令和の獄門鬼」として、さらなる高みを目指すこととなった。

 斎藤さんは1964年の東京五輪に出場後、65年にプロレス入り。単身、渡米してまだ人種差別の激しかった米国マットでのし上がった強者(つわもの)だ。日本と米国の両国マットを股にかけて大活躍した。

 その実力は筋金入り。同じく米国マットで名を馳せたザ・グレート・カブキさんが「一番、強いのはマサやん(斎藤)だよ」と認めている。たった1人で、酒場で暴れるアメフット選手の集団をKOした。挑戦してきた腕自慢のファンをあっさり退治した……など、逸話には事欠かない。

 加えてリングを離れれば、優しい笑顔そのままの温厚な人格者で、日本人選手はもとより、海外選手の信頼も厚かった。ビッグバン・ベイダー、ロード・ウォリアーズら超大物も信奉していた。

 春に来日した外国人選手たちが、ホテルのロビーに飾られた五月人形の「鍾馗(しょうき)」を目にして「この人形はマサか?」と騒ぎ出した。通訳が「男の子の成長を願う、魔除けの人形だ」というと「マサは強いから、魔物も逃げるだろう」とうなずいたという。

 仲間思いの斎藤さんが米国ウィスコンシン州で事件に巻き込まれたことがある。ケン・パテラがバーでもめ事を起こし、警察官が駆け付けた。その場に居合わせた斎藤さんも巻き込まれ逮捕されてしまった。

 混乱の中で警察官を殴ってしまった斎藤さんは、更生施設に収監された。刑務所ではなく、塀もゲートもないキャンプ場だった。

 米国取材ツアー中に、斎藤さんの出所が決まり、出迎えに行くという知人に同行させてもらうことになった。それはそれは遠かった。アメリカらしい長距離ドライブ。同じような景色が続き、どこを走っているのかも分からなかったが、無事に到着した。

「お勤め、ご苦労様です」には「そんな風に言うなよ」と苦笑いの斎藤さん。酒を禁止され、トレーニングばかりしていたとあって「生まれ変わったよ」と元気いっぱいだった。帰りのドライブでは斎藤さんもハンドルを握った。

 当時の斎藤さんの拠点だったミネアポリスに着き、AP通信の支局に駆け込んだ。当時はフィルム撮影の時代で、現像し東京に電送してもらったが、APのカメラマンが選んだのは、車の運転席から顔をだした斎藤さんの姿だった。「彼は自由になったんだ。車の運転は自由の象徴だ」と力説していたのを、35年ほどたった今でもよく覚えている。

 その後、新日本プロレスを中継放送するテレビ朝日「ワールドプロレスリング」の放送席でご一緒させてもらった。「あの時は、お世話になりました」というと「いやいや。あんな遠くまで、よく来てくれたよな。懐かしい。あのキャンプのおかげで、俺の寿命は延びたんだよ」と、いつも以上の笑みで応えてくれた。

 放送席には時折「ガソリンだよ」と缶ビールを忍ばせてきた。カルピスも好物で「ソフトに行きたい時はカルピス。ハードに行きたい時はアルコールに限る」とにっこり。豪傑なのに、繊細なところも秘めていた。

 マサさん、マサ北宮がますますあなたに似てきました。名前だけでなくファイトスタイルも話し方もそっくりです。武藤の「マサ斎藤さんはもっとデカかった。北宮は伸びしろがあるから、頑張ってほしい」という指摘通り、あなたの域にはまだまだですが、日々精進し、もうすぐ立派な「マサ」北宮です。「俺のレベルまで来てみろ。楽しみに待っているぞ」。きっとそう言っているのでしょうね。天国から星の窓を開けて、温かい目で見守っていてください。

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