【ズバリ!近況】ポニーテールがかわいかった「欽どこ!」鳥居かほりはきっぷのいい姉御肌のダンサーに

視聴率100%男・萩本欽一に半年口説かれデビュー【写真:荒川祐史】
視聴率100%男・萩本欽一に半年口説かれデビュー【写真:荒川祐史】

2年前には真屋順子さん偲ぶ会で欽ちゃんファミリーが集まった

 女優もダンスも同じ表現者という職業だと思っていますが、ダンスがメインの今の仕事の状況に満足しています。私は4歳から19歳までクラシックバレエを学び、ずっとダンサーとして食べていきたい、と思っていました。高校卒業後、バレエ留学の準備をしていたとき、たまたま公開収録を見学にいったバラエティー番組の現場で、萩本さんにスカウトしていただきました。「バレエをやっていくので」とお断りしたのですけど、「踊らせてあげたらいいんだね?」って口説かれました。

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 それで、「欽ちゃんの週刊欽曜日」(TBS系)で芸能界デビューとなり、萩本さんの番組に出演させていただいたおかげで、人気俳優・田村正和さんの相手役に抜てきされるなどドラマ、映画と忙しくなっていきました。そんななか、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(テレビ朝日系)に呼んでもらって、「サンドイッチ」というユニットで「想い出して下さい」を歌いながら踊らせていただくことになりました。驚くのが、今でも印税が入ってくることです。半年で数円と少額なので、支払証書を送る切手代のほうが高いのに(笑)。私自身はコロナ前のことですが、弟と飲みに行って「歌えよ」と言われたら歌うぐらいですね。

 一昨年、「欽どこ!」で共演した真屋順子さん(2017年逝去)の偲ぶ会があり、久しぶりに欽ちゃんファミリーで集まりました。みなさん、その後いろんな人生を歩んでこられましたよね。萩本さんはいつも私たち1人1人と、心をこめて接してくださいました。すごい照れ屋で、私とお話するとき、目を見て話してくださらないぐらいなのですが、その昔、私の結婚を報告して「引き出物のお皿に絵を描いてください」とお願いしたら、1週間後ぐらいに、突然、私の鎌倉の実家に「ピンポ~ン」といらして、私が育った家や幼い頃に遊んだ公園、通学路を見てくださって、小さい桜の木のある公園の絵を描いてくださいました。すごく愛していただいたな、と思います。

レッスンに通いたくて結婚・休業したほどダンス好き

 19歳で芸能界に入って楽しくお仕事させていただいていましたが、当時の萩本さんの番組はすごい人気でしたから、ドラマ、映画と活躍の場も広がり、とても忙しくなりダンスのレッスンに通えなくなってしまいました。私としては「やりたい方向性とは違うなあ」と思うようになっていたところ、21歳でミュージカル「アニー」に出演し、名ジャズダンサーで振付家の名倉加代子先生と出会いました。名倉先生のジャズダンスのレッスンに通いたくてたまらず、「結婚したらお休みできて、レッスンに通えるかも!」と思い、23歳で結婚し、その翌日から「名倉ジャズダンススタジオ」に通い始めました。

 年に2、3回、ニューヨークに短期のダンス留学にも行っていました。10日間ほどアパートメントを借りて自炊し、誰でも受けられるオープンクラスのレッスンを受けながら、オーディションを受けていました。挑戦、というほど大層じゃないのですけど、37、38歳のときには「MOVIN’OUT」というミュージカル、41歳のときには出口最一プロデューサーの「トリップ・オブ・ラブ」というオン・ブロードウェイのミュージカルのオーディションに参加。850人から6人に最高齢で選ばれました。日本は知名度でキャスティングされたりしますが、そういうやり方を私は好きになれない。ちゃんとオーディションしてほしいと思いますね。

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