【プロレスこの一年 ♯20】初代タイガー・佐山の原点「格闘技大戦争」 マスカラス&テリーの人気爆発 77年のプロレス

テリー・ファンク(左)、ドリー・ファンク・ジュニアの「ザ・ファンクス」(写真は82年)【写真:平工 幸雄】
テリー・ファンク(左)、ドリー・ファンク・ジュニアの「ザ・ファンクス」(写真は82年)【写真:平工 幸雄】

テリー、マスカラス、ビューティ・ペアの人気爆発

 ジャイアント馬場の全日本プロレスではこの年、「スカイ・ハイ」のテーマ曲にのったミル・マスカラスの人気が大爆発。“千の顔を持つ男”マスカラスは3・11日大講堂でザ・デストロイヤーのUSヘビー級王座に挑戦しドロー。同日には、ジャンボ鶴田が6日前に奪われたUNヘビー級王座を懸けてビル・ロビンソンと再戦を行った。しかし試合は60分ドローでロビンソンに逃げ切られてしまった。

 5月14日には全日本が単独開催として初めて日本武道館に進出。「第5回チャンピオン・カーニバル」の決勝戦が行われ、優勝戦進出者決定戦をアブドーラ・ザ・ブッチャーからの反則勝ちから駒を進めた馬場が鶴田との師弟対決を制し、2年ぶり4回目の優勝を達成した。

 前年から海外修行に出ていた天龍源一郎は、現地での試合模様が3月にテレビ放送されると、6・11世田谷で凱旋帰国し日本デビュー戦。天龍は馬場とのタッグでマリオ・ミラノ&メヒコ・グランデ組と対戦した。試合は天龍がローリングクレイドルで勝利を飾っている。天龍は翌日の大宮大会で鶴田との日本初タッグを結成、ハーリー・レイス&ホースト・ホフマン組と対戦し、凱旋帰国2連勝を飾った。また、6・16後楽園ではグレート小鹿&大熊元司組がアジアタッグ王座を奪回している。

 8・25田園コロシアムでは鶴田と「スカイ・ハイ」人気が絶好調のマスカラスがUNヘビー級王座を懸けて一騎打ち。鶴田がリングアウト勝ちで防衛するとともに、この試合は年間ベストバウトに選ばれる名勝負となった。

 全日本はこの年、「世界オープン・タッグ選手権」を開催した。12・2後楽園でスタートし、9チームが参加。最終戦は15日の蔵前で、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクのザ・ファンクスとブッチャー&ザ・シーク組が公式戦で対戦。ファンクスが勝てばそのまま優勝、ブッチャー組が勝てば得点で上回る馬場&鶴田組が優勝という状況で、ブッチャーがテリーの右腕をフォークで突き刺す凶行。最後はブッチャー&シークが反則を取られ、ファンクスが優勝を飾るとともに、テリーの人気が爆発した。全日本は翌年から名称を「世界最強タッグ決定リーグ戦」に変更、「オープン・タッグ」は、年末の風物詩となるタッグリーグ戦の先駆けとなったのである。

 国際プロレスでは3月26日に3年ぶりとなる蔵前大会を開催。「第6回IWAワールド・シリーズ」でラッシャー木村がマッドドッグ・バションを破り、こちらも3年ぶりとなるシリーズでの優勝を成し遂げた。木村は9・7大阪で前月に凱旋帰国し挑戦を表明していたマイティ井上を退け防衛に成功。またこの年は前年3月の「全軍対抗戦」から始まった全日本との対抗戦を継続。おもにアジアタッグ王座戦線で両団体がしのぎを削った。

 また、77年は、女子プロレスがブームとなった年でもあった。ジャッキー佐藤&マキ上田のビューティ・ペアが国民的人気を獲得したのである。このタッグチームは前年2月に結成され、11月にリリースした「かけめぐる青春」が大ヒット、80万枚を売り上げた。ビューティ・ペアは毎日のようにバラエティー番組や歌番組に出演、ブームの頂点を迎えたのが77年だった。7月15日にはフジテレビが金曜ゴールデンタイムでの「全日本女子プロレス中継」をスタート。11月1日には武道館で試合を行い、ビューティ・ペア対決が実現。60分フルタイム戦い抜き、判定で佐藤が上田を破っている。ペアのブームは、WWWA世界シングル王座を懸けての再戦が行われた79年2月まで続くこととなる。(文中敬称略)

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