【オヤジの仕事】デビュー以来第一線で活躍を続ける斉藤由貴が厳しかった父の背中から学んだ女優魂

助手席に母、後部座席に姉を載せ愛車を運転する父・勉さん【写真提供:東宝芸能】
助手席に母、後部座席に姉を載せ愛車を運転する父・勉さん【写真提供:東宝芸能】

子どもをもってみて父の不器用な思いに気付いた

 でも、今、自分も子どもをもって、自分なりに一生懸命に子どもらと接していると、両親も大変だったろうな、って気が付きました。子どもの頃は乱暴だなあと思ったけれど、父はただ不器用で、恵まれなかったぶん、自分が築いた家族を精一杯、守りたかったんだな、その思いが強いぶん厳しかったんだな、と思います。

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 いわゆる真面目カタブツ人間で、早朝から、納品時期は夜中まで忙しく働き、それでもご飯は必ず子どもと一緒に食べ、授業参観とか運動会とか私たち子どものイベントにはすごく熱心に参加してくれました。夏休みにはよく旅行にも連れて行ってくれて……蔵王、厳美渓、京都、北陸……。父はちょっとアメリカかぶれなところがあって、大きなアメ車を運転し、子ども4人と母、ときには親戚も一緒に、何時間もかけて連れて行ってくれたんです。厳しくて面倒臭いけれど、今思うと絆の強い、面白い家族だったと思いますね。

反抗期にはけがをするほど大きなケンカも…!

 12、13歳の頃には反発もしました(笑)。姉と兄は父を恐れて我慢していたんですけど、私は感受性が強かったので、あるとき頭ごなしに言われて「そういうやり方ってバカみたいだと思います」なんて言っちゃったんです。そうしたら、もう激怒されて! やり合っちゃいました(笑)。窓ガラスが割れて、私は左肘をザクッと切って、父も指を切って病院へ……。父は子どものなかでも私に一番、てこずったと思います。

 たぶん、そんなふうに父にもの申すことができたのは、私がきょうだいの中で一番、父と関わりが深かったから。姉、兄、私は3歳ずつ離れていたんですけど、私と弟は2歳弱しか離れていなかったんです。だから、弟が生まれてから母は弟にかかりきりで、幼い私の世話は父がしてくれたんですね。抱っこしてあやしてくれたり、散歩に連れ出してくれたり。それが思春期になると扱いづらくなって、「この子は将来、どうなるんだろう」って腫れ物に触るようになって。それがまた、私には重荷になっていたんです。

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