18歳で父が急逝、残されたのは初代エスティマ 苦節16年、“形見”を降りて選んだ「おやじの趣味ではない車」

車は持ち主を移す鏡、愛車を見ればその人の人生が見えてくる瞬間もある。埼玉県で自動車整備士として働く35歳の男性は、昨年、人生初のマイカーを購入した。「子どもの頃から車が好き」と語る割には、いささか遅めの愛車購入。その裏には、あまりにも唐突な家族との離別の過去があった。

1968年式の三菱ミニカ【写真:ENCOUNT編集部】
1968年式の三菱ミニカ【写真:ENCOUNT編集部】

【愛車拝見#364】18歳のとき、父親が単身赴任先で脳梗塞のため急逝

 車は持ち主を移す鏡、愛車を見ればその人の人生が見えてくる瞬間もある。埼玉県で自動車整備士として働く35歳の男性は、昨年、人生初のマイカーを購入した。「子どもの頃から車が好き」と語る割には、いささか遅めの愛車購入。その裏には、あまりにも唐突な家族との離別の過去があった。

 35歳の自動車整備士、yuuさんの愛車は1968年式の三菱ミニカ。昨年夏、人生初のマイカーとして、160万円ほどで購入した。

「車を買うつもりはなかったけど、近所の中古車サイトの広告を見て、見に行くだけ……と思いつつ、気が付いたらその場で買ってました。8月上旬の納車予定で、お盆休みに北海道の友人のところに遊びに行く約束をしてたので、いきなり青森まで下道を自走して、フェリーを挟んで函館から富良野まで……。旅行中は問題なかったんですが、帰りに本州を南下してる途中に止まって、初レッカーを依頼しました。これが旧車の醍醐味(だいごみ)ってやつですね、見事に洗礼を浴びました(笑)」。今年の夏にはリベンジを予定しており、北の最果て、宗谷岬を目指す計画だという。

 幼い頃からミニカーに夢中で、年を重ねるにつれてプラモデルに移行。昔から360㏄の軽自動車が好きだった。職業は整備士。当然、根っからの車好きだが、これまでマイカーを購入する予定がなかったのは、残された家族の車があったからだ。

「自分が18歳のときに父親が他界しまして。単身赴任先で脳梗塞で倒れて、無断欠勤を心配した同僚が様子を見に来たものの、発見が遅れてそれっきり。まだ40代半ばでした。搬送先の病院まで駆け付けて、何とか死に目には会えましたが、母も含めて家族全員ぼう然自失。2月の末で、自分は大学受験の真っただ中でした。亡くなった次の日も入試があって、試験会場まで行ったのは覚えていますが、試験の内容も、どこの大学だったのかすら覚えてない。あの頃の記憶は、家族全員すっぽりと抜け落ちているんです」

 残されたのは、持ち主をなくした初代エスティマが1台。母はペーパードライバーで、処分するか迷った末に、yuuさんが免許を取得し引き継ぐことになった。最初は大きすぎる車体が怖くて、なかなか運転できなかったと振り返る。

「学費は何とか奨学金で工面しましたが、進学先の大学は結局2年ほどで中退しました。インダストリアルデザインといって、自動車とかの工業デザインを学びに行ったんですけど、絵心が全くないことに気付いてしまって。それでもなんだかんだ、自分の軸になるところには車があったんでしょうね」。大学中退後、地元の埼玉自動車大学校に入学。車体整備士の資格を取得し、今はウインドフレームの施工を手がける工場で、日夜汗を流している。

「働き始めて10年、奨学金もようやく返済の目途が見えてきた。金銭的にも車は手が届かなくて、今まではバイクが中心だったんですけど、そろそろ自分の好きな小さい車を持ってもいいかなって。おやじの趣味ではない車。きっと『またそんな変なの乗って』と思ってるんじゃないかな。そうそう、遺品を整理してたら、若いころに皮ツナギを来て、バイクで峠を攻めてる写真がたくさん出てきて、『なんだ、おやじもバイクやってたんだ』って。やっぱり血は争えねえなって、生きてたらそんな話もしたかった」

 父の急逝から17年。もうすぐ、共に過ごした時間と同じくらいの歳月がたとうとしている。過去の思い出を胸に秘めつつ、今は自身の人生を歩んでいる。

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